神の贖い、恵みによって

創世記368,21

6;女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、
賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、
一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
7:
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、
二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
8:その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。
アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、

21;主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

 

 

ハレルヤ!主の贖いの恵みが皆様の上に降り注ぎますように願い祈ります。

この頃コロナウィルスのせいで皆さんと握手するのも遠慮していますが、
万が一のためにも注意する事は大切だと思います。
私が手を握らない事を理解しいただければと思います。

私たちが生きるには何を着るのか、何を飲んだり食べたりするのか
、何処で寝るのか、何処で働くのかは大事な事です。

聖書は私たちが着る服に付いて何と言っているでしょうか。

人間は目に見える事柄は話が出来ますが、
目に見えない事には自信が無いのです。神様も目に見える存在ならば、
この方が神様ですと紹介出来ますが、
私たちの目には見えない存在ですから、神に付いて話すのは難いでしょう。

人間の世界では着ている服を見ると、だいたいどの時代か推測できます。
映画を見る時にも風景と人々の服を見ると何となく古い映画か現代の映画かが分かります。

本当に古い時代の絵を見ると人々の服はその時代を表していますが、
犬や猫、牛等の動物は変わらないです
。今は動物の服を人間が作って着せますから今の時代ならば
動物の姿が異なって見えるかもしれませんが自然の動物は同じです。

この事は「創世記の神が全ての物をそれぞれ創造された」との御言葉にたどり着きます。
世の生き物の中に人間以外に服を着る物が居ますか。

聖書は強く語ります。今私たちが着ている服は罪を犯した証拠なのです。

人間以外に服を作ったり、物を作ったりして発展している生き物がいますか。
たまに動物園でショーが有り、
訓練された動物がカードを選んだりしますがそれは自然の事ではなく、
人間が無理やりに作ったものです。
神様は人間を神ご自身の姿に似せて創造されたと聖書は教えています。

受難節レントに入りイエス・キリストの贖いの恵みと愛を深める時です。

では服から学ぶ神様の恵みと教えとは何ですか。

1. 人間は罪人です。

隣の方を眺めて見て下さい。慈しみ溢れる様に見えますね。
笑顔で愛に満たされた方のように見えますよね。

皆さんは私のことを如何思っていますか。実は私は罪人です。良く腹を立てます。
良い物を見ると買いたい、手に入れたいという欲望があります。

誉める声を聞くと喜び、何か指摘されると心に傷が付きます。
愛すべき人たちへの愛する心が薄くなった時も有ります。
私は何時も他の方と同じく、ただの人間にすぎない存在である事に気付いています。

人間が服を着るように成ったのは罪が有るからだと聖書は語ります。

服を着ないで行きたいと思い裸でイベントを計画する方々も居ます。
彼らは芸術と言われ、これらの事を認めている地域もあるようですが、
所詮人間は罪人に過ぎないことを表しているのです。

2. 人間の力では隠すことは出来ないのです。

アダムとエバはイチジクの葉をつづり合わせて腰を覆うものとした(37節)とありますが
、なぜイチジクの葉を使ったのか分かりません。
イチジクの葉より丈夫な材料が有ります。今は革よりも良い物が有って、
素晴らしい服が山ほど作られていますが、
何を着ても私たちの罪を隠す物はないのです。
人間の力と知恵では人間の愚かさや汚れた心を隠すことは出来ないのです。

どれ程素晴らしい服を着ていたとしても、
ただ罪人に過ぎないという事を隠すことは出来ないのです。

今は飛行機に乗る前に必ず全ての持ち物を検査します。
荷物のかばんをスキャンすると大体何が入っているか分かります。
私たちが神様の前に立つと私たちの過ぎ去った全ての歩みがパノラマのように流れます。
他の方に見せたくない全ての事も隠す事が出来ない罪が表れます。

 

その時神の前に立てない恥を感じて10節に「恐ろしくなり隠れております」と答えたのです。

私たちは色んなもので飾って美しく自分を隠していても、
ただの罪人であり神の前に隠す事が出来ない存在なのです。

 

3. 神は憐れみを下さいました。

21節に神は皮の衣を作って着せられたとあります。

皮の衣を作るためには何かの動物を殺して作らなければなりません。
神様が殺した動物は何なのかは書かれていないのですが、私は羊では無いかと思います。

レントに入りキリストの十字架の死の意味を深める時期です。

イエスの死によって私たちの罪が許されて、恥じる者が神様の前に立つ事が出来たのです。

この世では罪から解放される方法について多くの宗教が教えています。

他の宗教の教えは人間の力で出来る事を教えています。
アダムがイチジクの葉で隠した様に教えているのです。

でも神様の計画と恵みとは、死という対価を支払って罪から救い出してくださったことです。
自分の命を私たちに与えてくださったキリストの愛によって、
私たちはキリストの子羊の皮で作った恵みの衣を着せられたのです。
この限りない恵みと愛を下さった事を思いながら感謝すべきです。

私たちが幼児の時には母の手で衣を着せられました。
生まれてすぐに自分で衣を着た人は一人もいないのです。

初めての人間であるアダムとエバは、
神様が作られた皮の衣を神の手で着せられたのです。

ここに救いの秘密が隠れています。

過ぎ去った自分の人生の歩みの恥じを、
イエスという羊の血によって隠され、
神様に受け入れていただいた恵みを感謝してレントの時を過ごしましょう。

神様の忘れられない愛と憐れみを数えながらいきましょう。