告げ知らされた福音

ペトロの手紙Ⅰ 117-25

また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、
「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間
、その方を畏れて生活すべきです。

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、
金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、

きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、
この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。

あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、
キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、
偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。

あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、
すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。

こう言われているからです。「人は皆、草のようで、
/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。

しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、
あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

おはようございます。主の恵みと慈しみが皆様と共にありますようにと願い求めます。

今日礼拝の後には西那須野教会の総会を計画しています。
今の状況を考えて短くしたいと思っています。

さて今日の聖書の個所から神様の教えに耳を傾けたいと思います。

2019年度の宣教方針は信仰の原点回帰としました。
一年かけて聖書が教えている信仰の原点とは何かについて語ってきました。
そして、この一年の締めくくりとして福音の恵みを確かめたいと思います。

ペトロが語る人間と福音について考えてみましょう。

1. 人間とは

 17節にはそれぞれ行いに応じて裁きが有る。
18
節にはむなしい生活をする人間、
23
節には朽ちる種のような言葉によって生きている人間について語っています。
今の時代にはそれぞれの方々が用いている説、論理、哲学、
本などが洪水のように溢れていますが、
ペトロはそれらの物は朽ちるべき言葉に過ぎないと教えています。
勿論それらの言葉によって賢く生きることが出来るかもしれません。
知恵有る者として生きる事が出来るかもしれません。
でもそれらの言葉によって罪が
許され、命に導かれ、
永遠に生きることは無いと言うのです。なぜなら24節の言葉のように人は皆、
草のようで、その華やかさは全て、草の花のようだと書かれています。
草は枯れ、花は散ります。なぜ人間は草のようなのだと青年たちには
その言葉が理解出来ません。自分の思い通りにいかない事、
いくら頑張っても出来ない事があるという大きな壁にぶつかった時に、
また思いもよらない悩みと病にわれた時に、
虚しさを感じて死にたいと思い苦しみの中を歩む時に、
まるで綺麗な花が散らされるような事が有った時に、
初めて本当の幸せと平安と喜びと愛を求めるのです。

何も欠ける事が無いと思う人は福音について何も思わないのです。

自分を草のようだと思わない人には人生の虚しさも悲しさも分からないのです。

花が散るような苦しみの中に有るからこそ、
私は救い主であるイエスの贖いや恵み、導きや助けを常に願い求めているのです。

 

2. 人間の力では出来ない。

18節には朽ち果てる物では、神の裁きから守られないのと教えています。

この世では金や銀で裁きが守られます。
でもいくら良い善を行っても一つの罪で罪人に成ると聖書は宣言します。
ローマの信徒への手紙3章には「正しい者は一人もいない」と書かれています
。いくら良い心を持って生きて行っても良い心を持っていた罪人に過ぎないのです。

ヨハネの 6 1516節に「地上の王、高官、千人隊長、富める者、
力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に
れ、
山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、
玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、
わたしたちをかくまってくれ」と言った。」と書かれています。
でも出来なかったのです。

救いの道、神の裁きから救われる道はただ一つ、イエス・キリストの贖いの恵みだけです。

 

3. 贖いの福音の恵みによって

19節にイエス・キリストの尊い血によるのですと書かれています。
今はレントの時です。
私たちのために十字架の死と苦難によって与えられた
尊い贖いの恵みを福音として与え下さいました。

21節にはただ信じる事で与えて下さる恵みだと書かれています。

22節には真理として受け入れる事で味わう恵みだとも書かれています。

イエスの死によって罪の赦しを信じ神の御言葉を真理として受け入れると、
22節には魂が清められ、偽りのない愛を抱く者になり、
これらの恵みの約束の御言葉は23節には生きた言葉、
25節に永遠に変わる事が無い言葉であると示されています。

イチジクの木に登ったザアカイの名前を温かい声で呼んだイエスの恵み、
姦通の現場で捕らえられた女に私もあなたを罪に定めない
(ルカによる福音書811)と言われた愛。 
ヨハネによる福音書1516には「あなた方が私を選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだのだ。」とあり、
そしてヨハネによる福音書1427には「心を騒がせるな、おびえるな、
私の平和を与える」と約束された主イエスは世の終わりまで
共に居ると約束して下さったのです。この福音を信じ、今こそ不安な時、
恐ろしい時に信仰の原点に基づいて今週一週間も平安に、
神と共におられますようにと祈ります。
締めとして2-1673-4節を賛美しましょう。