2020419日 西那須野教会

説教平和があるように。

ヨハネによる福音書 2019-23

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、
自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」と言われた。
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 

ハレルヤ!私たちの御父なる神様の御守りと導きが
皆様の上に豊かにありますようにと願い祈ります。

今は緊急事態です。今日の聖書の個所で弟子たちは恐れていました。
今はその時と同じように多くの方々が恐れています。
弟子たちはユダヤ人を恐れていました。
今多くの方々はコロナウイルスを恐れています。
弟子たちは鍵をかけていましたが今は社会距離と言う鍵が有ります。

その時復活のイエスが現れて
「あなた方に平和があるように」と声をかけて下さいました。

大きな恐れに囲まれている私たちに今必要とすることも、
世にない平和、世から得る平和では無く、神様から来る真の平和ではありませんか。

先週はイースター礼拝でした。
復活なさったイエスご自身が恐れている弟子たちに現れたように
、私たちにも平安と力づけてくださる恵みをくださるのです。

ここでイエスが掛けた言葉は「平和があるように」でした。

シャロームשָׁלוֹם(shalom)という名詞は、
旧約では97(NIVには142)、詩篇では22回、ちなみに、
「都上りの歌」と言われている詩編120134編では平和が重要なキーワードです(120:6, 7/122:6, 7, 8 /125:5/128:6)

シャロームשָׁלוֹםは、現代のイスラエルにおいては「こんにちは」や
「さようなら」などの日常の挨拶用語です。
ヘブライ語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、
平和な状態を表わすだけではなく、力と生命に溢れた動的な状態を表します。

シャロームが意味するものは、

初めの字שָׁは二つの歯を意味した言葉です。
シンと発音します。意味は歯、除く、力、全能です。

二つ目の字 לはラメット杖を意味しています。
意味は権威、教える、指示する事ですからこの二つの言葉の意味は権威を除く事です。

三つ目の וֹwaw釘を意味します。繋ぐ事です。

四ツ目の םはメン、水を意味します、
単に水ではなく混沌の意味ですから

シャロームの平和とは、
ユダヤ人を恐れて不安になる心の恐れを取り除いて平安に成るようにと取れます。

ヘブライ語の平和の意味は暗闇を取り除き、
暗闇が消え去って味わう心の本当の平和なのです。

ですからシャロームの意味はただ平和ではなく、
混沌とした天地創造前の状態から秩序が保たれる事、
隔てを崩し一つに成って和解が出来る事、
心に何の恐れも心配する事もなく心が落ちついて平安になる事、
津波のような激しい風ではなく穏やかな風のようなことが平和です。

今こそ弟子たちのように、
不安と恐れの重荷を負って苦しみの中に居る私たちに必要とされることが平和です。
その真の平和「シャローム」が
主イエスキリストから苦しみの中にいる皆さんお一人お一人に与えられますようにと願い求めます。

主イエスの平和とは何処にあるでしょうか。

1. 共に居られる神に出会う事。

弟子たちが恐れていた理由の一つはイエスが居ない事でした。

今私たちも共に賛美し、共に礼拝する恵みを失って教会の交わりが出来ない事が苦しみです。

でも神様は私たちと共に居られます。復活なさったイエスは弟子に現れました。
テレビとニュースを見て荒れた心になっている今こそ、
共に居られるイエス・キリストを覚えましょう。

復活され永遠にあなたと共に居ると約束された主イエスの御言葉を信じましょう。
マタイによる福音書2820
『わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」』と書かれています。

イエスは弟子の側に自ら現れ共に居られました。
今こそ復活なさった主イエスは皆さんと共に居られます。

皆さんが気づかないうちに皆さんの側に居られます。
手を上げて主の御名を呼ぶと主イエスは皆さんの手を掴み取り導いて下さいます。
皆さんは一人ではありません。
家の戸に鍵をかけていましたが、もう既に家の中にイエスは居られました。
本当に皆さんは一人ではありません。復活のイエスは皆さんと共に居られます。

2. 主イエスの愛が降り注いでいます。

イエスは弟子たちに平和が有りますようにと
声をかけた後に手とわき腹を見せました。イエスが見せた手とわき腹とは何ですか。

十字架の傷です。皆さんが知っている十字架とはなんですか。
ネックレスにして飾るほどの美しく尊い物ですか。
本当の十字架とは張り付けにする死刑の道具です。
イエスが弟子にその傷を見せたとは、私はあなたを愛していますという意味なのです。

例え負いきれない苦しみと悩みが有って、生きる勇気も力も失ったとしても、
イエスは皆さんにその傷を見せ、「もう大丈夫だよ」、
「私はあなたを愛している」と言ってくださるのです。
「失敗して誰にも認められないと失望するあなたのために私の命を捨てる程、
あなたを愛しています。」と声をかけられたとしたらどうでしょう。

例え、相手から何の役にも立たない愚かな者だと言われて失望しているあなたに、
主イエスは傷がある手を見せながら「今あなたを愛している」と声をかけられたらどうでしょう。

今も苦しみの中に居る私たちに十字架の傷が残った手を見せて下さいます。
主の愛を受け取って下さい。

3. 平和への道は聖霊を受ける事です。

22節に息を吹きかけて聖霊を受けなさいと言いました。

本当の平和は言葉で、知識で、力で現れるものでは無く、
聖霊すなわち神の霊を受ける事で与えられるのです。

聖霊を受けるとは聖霊のご臨在を経験する、
そして自分の全ての事を聖霊に委ねて信じる事です。

今はいつコロナウイルスの事が収束するか誰も分かりません。
知らない内に自分がウイルスに感染していたら如何しようと
ストレスが溜まると免疫力が落ちます。でも神様が与えられた命であり、
死ぬことも生きることも神の業、神の計画の中にありと神に委ねて
、ただ今自分が出来る事、日々神様の御言葉と共に歩むと平安と慰めを味わいます。

神様の助けと癒しが与えられます。
今こそ主の僕として生きましょう。

今こそ神の愛を受けて苦しみの中にもいつも喜び、絶えず祈り、
どんな時にも感謝することです。
そして聖霊の力の助けなしにはその様な歩みは出来ないのです。

苦しみの中に居ますか、聖霊を受けて下さい。神に委ねて下さい。

明日、何が起こるか分からない不安に包まれているからこそ聖霊を受けて下さい。
今こそ祈って下さい。

聖霊に満たされますようにと祈って下さい。
今こそ苦難の時です。詩編5015には『それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」』

今こそ苦難と苦しみの日です。
暗闇の中、混沌の時に神の創造の光が始まりました。
自分の力で立つことが出来ない時、
救いの手が有る事を信じ神の名を呼び祈りの時を持ちましょう。
光り輝く明日が近づいてきます。