2020年2月9日 

西那須野教会主日礼拝メッセージ  大下正人

聖書フィリピの信徒への手紙 21218 

メッセージ「自分の救いを達成するために」

 わたしたちは、それぞれどのような道を歩んできたでしょうか?
もちろん同じ道を歩んでいるとは言いません。技術者の人もいれば、
会社員の人もいます。先生もいれば、弁護士もいます、
様々な職種はこの世に存在します。
実はバラバラに思えても一本の大きな道の中の一つかもしれないのです。
それではみなさんとちょっと実験したいと思います。
まず右手でどの指でもいいですから
3本を立ててみてください。
そして左は
2本立ててみましょう。では今度は逆に右手は2本、左手は3本できますか?
それでは交互に繰り返し動かしてみてください。
たぶん今は頭でそのことをしなさいと命令を送っているから出来ます。
手や足は違う部分でありますが自分の気持ち次第で動きます。
つまりどこから命令されたのかを知ればそのことを行うことができるのです。
この命令の伝達は血液を通ってその指に情報を伝えるのです。
いろいろな機能はすべてが脳から血液で情報を送るのです。
しかしその情報は嘘だと疑うのであれば、うまく機能はしていかないでしょう。
つまりわたしたちもそうです。神様を信じるといいながらも心が
「そんなわけはないだろう」と疑うのであれば、うまくいかないかもしれません。
反対に従順であれば、うまく機能するはずです。
つまり信じているのであれば
良い事も悪い事も乗り越えていくことが可能になるのです。
しかし命令するのは神様なのです。
神様の計画のままに私たちに行うように命令をなさいます。

皆さん創世記物語を思い出してください。
あの洪水物語でノアのことをどのように書いているでしょうか?
聖書を持っている方は旧約聖書の
8ページ69節を開いてみてください。
持っていない方は耳を傾けてください。それではお読みします。
これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。
ノアは神と共に歩んだ。こう書いてあります。話をする前にその前の個所も読んでおきましょう。
658節です。主は、地上に人の悪が増し、
常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、
地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。
人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
しかし、ノアは主の好意を得た。その世代の中と書かれています様に
この時代は人の心に悪が増していきました。それは、女性の美しさを見て、
神の子たちがそれぞれ選んで妻にしました。その結果、悪い心が増えていきます。
神様を神様と認めず、神様などいないといったかどうかわかりませんが、
悪いことが蔓延していたのではないでしょうか?
その蔓延な悪い環境は、心も悪くしてしまうのです。
しかしノアは時代の波に流されない強い心を持っていました。
それが信じる心です。神様に感謝する心です。神様を賛美する力です。
ノアは神様に従順であったので神様の声を聞くことができました。
疑わないからこそ神様が船を作れといわれた時には、その採寸通り作り上げたのです。
しかしその大きな船は、かなり大きな船でしたから
作り上げるのも何年もかかったのかもしれません。
その造る工程で「なぜこんなところに作るのか」と誹謗中傷もあったのかもしれません。
しかしノアは、それにもめげず全て命じられたとおりに果たすのです。
これがノアの神様に対する従順さです。しかしもっと従順なのはイエス様であります。

イエス様は十字架の死に至るまで神様に従順でありました。
何度命の危険にさらされたでしょうか?何度罵声を浴びたことでしょうか?
十字架につけられるまで鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、唾をかけられ侮辱されても、
決して神様の愛を信じて疑わないのです。心が折れないのです。
それは、強い意志だけではありません。
そこには神様との絶大的な信頼関係があったからなのです。
ですから、イエス様がそうであったようにその遺志を受け継ぎ、
私たちも神様に従順でなければなりません。
それは神様が私たちを救い出す計画を達成するためにも
信じることが第一条件となるからです。
どんな時にも神様がわたしたちのために、特に体の内側、
すなわち心にダイレクトに語りかけてくださるのです。
そうすることによって私たちは心が強くなるのです。
神様を知らない時は、自分が悪いのではなく、周囲が悪いのだと
自己中心的な考えに陥りがちです。
すぐ人のせいにしたり、悪口を言ったり、悪い心が芽生えてくるのです。
しかし不平不満を表に出さない心や行動を身に着ける努力は、必要かもしれません。
その不満も苛立ちも全部神様は知っておられます。
ふっと湧く悪い心も神様は受け止めてくださるのです。
だから従順さを見つけることができるのです。

私たちが生きているこの時代は、まさに邪な考えが蔓延しています。
人をだまし、悪事を行い、自分さえ良ければよいという考えをする時代だからこそ
私たちは神様の子として星のように輝き、
命の言葉を絶やさない様にしなければなりません。
それには、私たちがもっと神様を知りたいという気持ちを強く持つことです。
神様の言葉を知れば、もっと私たちは神様に近づくことができるでしょう。
もっと愛に触れれば、人を愛することができるでしょう。
もっと神様を信じることができれば、神様は答えてくださるのです。
それが自分自身の救いに達することになるのです。

最後に本日の聖書個所フィリピの信徒への手紙217節から18節を読んでみたいと思います。
更に信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、
礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、私は喜びます。
あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。
わたしと一緒に喜びなさい。
こうパウロは締めくくっています。
つまり自分自身が礼拝を献げるにあたり、
自分自身が神様へのいけにえになろうとも神様のために喜ぶ事が出来るのです。
つまりその犠牲の精神は、神様につながる喜びなのです。
もしかしたら自分のために行うかもしれません、
もしかしたら人のためなのかもしれません。
しかし最終的には神様のために行うことになるのです。
喜びをもって仕えることが自分をも救うことにつながるのです。

お祈りいたします。ご在天の主なる神様感謝いたします。
今日の御言葉は、私たちがあなたの救いに与かるためにはどうすべきか
教えていただきました。感謝いたします。
あなたは言われます従順でいなさいと、
光の子としてみことばに聞き従うように歩みなさいと、
そして喜びなさいといわれました。
どうぞ私たちがそのように行動し、
心がけていくことができますように導いてください。
この
1週間もあなたの思いに感謝して歩むことができますように。
誘惑からお守りください。
このお祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン