2020年3月29日 西那須野教会主日礼拝 メッセージ 大下 正人

聖書:Ⅱコリントの信徒への手紙1:3~11

メッセージ 「苦しみも慰めも共に」

はじめに、今日はCSと合同礼拝ですので、
まずこどもたちに聖書のお話をしたいと思います。
今日の聖書は、ヨハネによる福音書18章23節からです。
ここでピラトという人がイエス様とお話をしています。
このピラトさんは、ローマの総督です。
ローマの総督ですから非常に偉い人です。
なぜイエス様は、この偉い人とお話をしているのでしょうか?

イエス様は弟子のひとりのユダさんに裏切られてしまいます。
神様の礼拝をする祭司さんや神様の約束を自分の考えで教える人たちに、
イエス様は、捕まってしまったんですね。
祭司さんも律法学者さんもイエス様をどうしても捕まえてほしかったのです。それはなぜでしょうか?

それは自分たちの中で一生懸命守ってきたことや教えていたことを
イエス様が正しく直し、神様の本当の約束を守るように言いました。
その本当の事を知った多くの人たちが神様のことを信じるようになりました。
みんなも自分で超頑張った事や一生懸命してきたことを邪魔されたらどう思いますか?
きっと皆さんは、牛になってしまうと思います。「モーってね」怒りますよね。
でも自分たちではどうすることも出来なかったので
イエス様をピラトさんにお願いしました。
しかしピラトさんがイエス様とのお話で分かったことは
何も悪いことはしていないということでした。

それどころか、イエス様は、ピラトさんに言ったのです。
「わたしは真理について証しするために生まれ、
そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、
わたしの声を聞く」そのように話をしたのです。

「真理」とは何でしょうか?それは鞭でたたかれても、
いばらの冠を載せられても、馬鹿にされても、
みんなに責められても決して変えることの出来ないものです。
それが神様の愛です。神様が与えてくださる愛は、どんなものにも負けません。
それどころか今ある愛はさらに大きく、広く、深くなっていきます。
神様を知ることは、愛を知ることになるのです。
その愛を与えてくださる神様が真理なのです。
わたしたちは、その真理の中で生きています。

お祈りします。神様ありがとうございます。
イエス様がわたしたちに本当に大切なことは、
神様の愛であるということを教えてくださいました。
わたしたちも神様の愛をお友達やお父さん、お母さん、
妹や弟、お兄さんやお姉さん、おじいさん、おばあさんに行うことができますように
神様が守っていてください。この1週間も神様の愛が注がれますように。

このお祈りをイエス様のみ名によっておささげ致します。アーメン

それでは、皆さんにメッセージをしたいと思います。まず始めるにあたり、感謝の祈りを献げます。

こうして西那須野教会の皆さんと共に5年間過ごすことができました。神様の恵みに感謝いたします。
様々なことが思い起こされますが、本当に皆さんが神様の愛を信じ、
実践してくださったお陰で5年間良き交わりの時を与えられたことを感謝いたします。
これから西那須野教会での最後のメッセージをいたします。
最後まであなたの霊に満たされていくことが出来ます様に導いてください。
また聴くわたしたち一人一人の上に主の恵みが注がれますように。
このお祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 改めて皆さん5年間ありがとうございました。就任する前からを合わせますと
6年間本当にお世話になりました。はじめ、招聘したいとお話があった時、
「素直に嬉しいという気持ちと私に務まるのか」と複雑な気持ちがありました。
「西那須野教会」という看板を背負うという重責は、
とても一人で担いきれるものではないと思っておりました。
神様の配慮は、そんな私の心をすべてご存じで、二人体制で西那須野教会を牧会することが出来ました。
お互いが足りない所を補い合うことが出来、良い牧会が出来たのではないかと自負しております。
もちろん物足りなさを覚えている方には謝らなければなりません。申し訳ありませんでした。
また皆さんの中には、まだ西那須野教会にいてくださいと思ってくださる方もいるかもしれません。
ありがとうございます。しかしわたしは益子教会に行きます。
わたしはこの決断は、二人で神様に祈って決めました。だからこれで良かったと思います。
あとは神様に委ねていきたいと思います。今まで以上に潘先生を支えてあげてください。
「もちろんそんなこと言われなくともわかっていますよ。」と思う人もいるでしょう。
その思い以上に支えてください。そうすれば更に良い教会になっていくことでしょう。
わたしたちも益子の地で西那須野教会のことを覚えて祈ります。
どうぞ益子教会のことも覚えて祈って下さい。
お互いが祈りあう関係をこれからも築いていきましょう。
本日の聖書テキストは、そんな私たちの事が書かれております。
4節から5節をお読みします。
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、
わたしたちも神からいただくこの慰めによって、
あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、
わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。

 わたしたちの生活は、全てにおいて神様が与えてくださるものです。
それは苦しみも慰めもそして喜びもあらゆるもの全てです。
もしも神様が存在しなければ、今私たちは存在していないかもしれないのです。
神様がいるからこそ希望を持つことができるし、その苦難をも乗り越える力が与えられるのです。
神様は必ず助けてくださるのです。その苦難の中にある叫び声を聞いてくださるのです。


 出エジプト記のところで、モーセが神様と出会った燃える柴の場面を思い起こしてください。
モーセが羊の群れの世話をしているとき、導かれてホレブの山で
神様の不思議な光景を目の当たりにします。
その時に神様はモーセに声をかけてこう言いました。出エジプト記の
3章の7節~10節です。

 主は言われた「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、
追い使うものの故に叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
それゆえ、わたしは下っていき、エジプト人の手から彼らを救い出し、
この国から、広々とした素晴らしい土地、乳と蜜の流れる土地、
カナン人、ヘト人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。
見よ。イスラエルの人々の叫び声が今、わたしのもとに届いた。
またエジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。
今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。
わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」
この言葉を聞いてモーセははじめ断ります。
自分にそんな資格もありませんし、口下手です。
自分よりもほかの人を選んでください。モーセはそのような思いになりました。
しかし神様は、わたしがあなたを選んだのだから、四の五言わず行きなさい。
必要なものは神様が準備してくださるのです。
わたしたちが益子で必要なことはただ一つ神様に委ねることだけです。
それはどんな状況になろうとも神様を信頼していくことです。
つまり私たちは一人ではないということです。
イエス様が十字架に架けられたのもわたしたちのためであり、
神様の栄光を表すためでもありました。神様がたくさんの教会を作られたのも、
全ての人に福音を述べ伝えるため、そして互いに苦しみを分かち合い、助け合うためです。
決して優越をつけるためではないのです。わたしたちは一つの主の体です。
大きい部分もあれば、小さな部分もあります。弱い部分があれば、強い部分もあります。
お互いが支えあうことによってもっと輝くことになるでしょう。主の栄光を表すために、共に歩んで行きましょう。

お祈りいたします。

 主なる神様あなたの恵みを感謝いたします。本当にこの6年間
あなたが導いていただき無事に務めることができました。
どうぞこれからも神様が共に歩んでください。あなたが創られた教会は世界にたくさんあります。
あなたの御言葉を必要とする人もたくさんいます。どうぞあなたの働きをなすことができますように。
共に助け合う、祈りあう関係を築くことが出来ます様にあなたが導いてください。
西那須野教会の上に、全ての教会の上に主の祝福がありますように。

このお祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン