202038日 西那須野教会主日礼拝メッセージ 大下 正人

聖書 ローマの信徒への手紙515

メッセージ「栄光にあずかる希望」

皆さんは、自分で何かしようとする時、何かを作る時、どのようにしますか?
私は、何も考えないで始めてしまうことが多いのですが、
計画的な人は、設計図を書き、材料は何が必要か、どれぐらいの量が必要か、
予算はいくらかと順番に計画を立てます。
何か考える場合もそうです。自分ではこう考えるが、相手はどう考えるか、
こういった側面はないかなど様々なシミュレーションをします。
しかしどんな計画の場合も順調に進んでいるのであれば安心ですが、
予想外のことが起きた場合は、どうでしょうか?
熟練した人であれば、修正することもできますが、
修復不可能な事態に陥った時には、諦めるか、初めからやり直しとなります。
物作りや事業であれば、初めからというのは出来ます。

では自分の人生はどうでしょうか?「アーあの時こうしていれば良かったな。」と
思い描くことはないでしょうか?もちろん
100点満点の人生を送っていれば、
そんな悔いることはないでしょう。
しかし誰もが
100点満点の人生を歩んでいるわけではないのです。
「アーあの時に戻りたい。」と夢を描くでしょう。
現実的にはそんなことはまず出来ません。今この時を生きるしかないのです。
信仰の道も同じです。

神様の道は、私たちが想像する以上に厳しいものかもしれません。
なぜならば私たちが心で信じていようともこの世で生きているわけですから、
この世の考え方に支配されてしまいがちです。流されてしまうかもしれないのです。
しかしそのような時、わたしたちは、どのように生きたらよいでしょうか?
それでは本日の聖書の箇所を見てみましょう。
まず
1節~2節にこのように書かれています。
このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、
私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
このキリストのおかげで、今の恵みに信仰によって導き入れられ、
神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
ここではまず信仰によって義とされたのだからとの言葉に注目していきたいと思います。
この前の
4章ではアブラハムの信仰について書かれています。
アブラハムは、神様に言われたようにどのような状況下においても
まず神様を信じたことがアブラハムの義です。
つまりアブラハム自身の行動や言葉によってではなく、
初めにまず神様のことを信じたのです。これだけです。
たったこれだけでアブラハムはイスラエルの父と呼ばれるようになりました。
その信じる心は今を生きる私たちにも適用されていくでしょう。
つまり信じることによって何が得られるかと申しますと、
神様の栄光にあずかる希望を持つことが与えられているのです。
わたしたちは弱く、わたしたちは愚かです。
しかしどんな時にもまず神様を信じることを第一に考えましょう。
神様を信じると希望を見出すことが出来るのです。
なぜなら、神様は、わたしたちよりも強く、賢いからです。
わたしたちは視野が狭く目先の事しか考えていません。
しかし神様の視野はどうでしょうか?全てのことをご存じで計画しておられます。
では、わたしたちは神様に勝るものがあるでしょうか?
わたしたちは神様に勝るものは一つもありません。
つまり神様を信じることは当たり前なのです。

ではなぜ全ての人が神様を信じることが出来ないのでしょう?
それは、違うものに仕えているからです。人は二つのことに仕えることは出来ません。
今の世の中をご覧ください。人は何かに取りつかれていないでしょうか?
本当に大切なものは何かに気づかなければならないのです。
私たちは少なからずそのことに気付いているのではないでしょうか?
だからこそ世の中の考え方から離れる必要があるのです。
そのためには、まず自分自身が悔い改めを神様から求められているのではないでしょうか?

今、レントの時期を過ごしています。
だからこそもう一度本当に大切なことは何かを見出す必要があるのです。
その本当に大切なものを確立するためには、忍耐が必要です。
神様が私たちに本日の聖書の箇所で語っています。
聖書を持っている方は、一緒に読みましょう。
声を出して読むということは、それだけ頭に入るということです。
何回も繰り返して読むと覚えるだけでなく、
私たちの心に神様のエキスが染み込むのです。
ぜひ一緒にゆっくり読みましょう。
ローマの信徒への手紙
535節です。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、
練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことはありません。
私たちに与えられている聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
はいありがとうございます。
ぜひこの神様からいただいた御言葉を
1週間の心の栄養として、
何度も何度も味わってほしいです。

更に、付け加えてほしいのが、
今日の礼拝で招きの言葉で読んでいただいた御言葉です。
同じく声に出して読みましょう。ローマの信徒への手紙
58です。
しかし私たちが罪人であった時、
キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに愛を示されました。今まさに神様は愛を示されたのです。
私たちが気付くことを忍耐強く待っておられるのです。
これも神様の深い愛です。
私たちも神様に倣い、愛の心をもって忍耐していきましょう。
些細なことも怒らず、大きなことが降りかかろうとも忍耐を持って歩みましょう。
その先には必ず神様の栄光が私たちを包んでくださるのです。
希望をもって進みましょう。その希望こそが主の光です。
あらゆる悪から離れましょう。それこそが神様の示された道です。
神様との和解のために、イエス様が十字架につけられた事、
それこそ私たちに示された愛そのものであるということを。
その愛に満たされて私たちはこの
1週間を過ごしてまいりたいと思います。
それではお祈りいたします。

ご在天の主なる神様、感謝いたします。
今日あなたは私たちのために愛を示してくださいました。
あなたが私たちをどれほど愛してくださっているかを感じることができました。
私たちはあなたに倣い、愛の心をもって、耐え忍んでいきたいと思います。
しかし弱い私たちです。くじけてしまいそうになります。
不安を覚えます。様々な試練を乗り越えられないかもしれません。
どうぞあなたが私たちを支えてください。
あなたなら信頼して共に歩むことができます。
最後まであなたの道を走りぬくことができます。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を練達は希望を生むことを心にとめて
この
1週間を過ごすことができますように。
全ての事に感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン