説教:賛美とダビデ
聖書:サムエル記上1614-23

主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。 サ
ウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。
王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。
神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」
サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」
従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は
竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、
言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」 サウルは、
エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、
わたしのもとによこしなさい。」
エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、
息子ダビデに持たせてサウルに送った。 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。
王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。 サウルはエッサイに言い送った。
「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」
神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、
サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

 

ハレルヤ!神様の限りない愛と恵みが皆さんの今週の歩みの上にいつもふりそそぎますようにと願い祈ります。
3月に入り2018年度の最後の月を過ごしています。2018年の教会の業は祈りと賛美であり、
礼拝の集まりの最後を賛美と共に過ごしています。毎週私は皆さんの讃美歌を知り、
そして賛美の恵みを共に分かち合うことが出来喜んでいます。

今日はダビデの賛美を通して、神の導きを願い求めながら、
私たちもダビデの様に歩みたいと願いながら、今日の聖書の御言葉を聞きたいと思います。

ダビデは賛美の方であり、賛美と共に歩んだ方でした。

竪琴を持って賛美するダビデの姿を思い描くとすると、
皆さんはどんな姿を思いますか。

まだ背は低い少年でパワフルな姿を思います。
声はどうだったか分かりませんが素敵な声なのは間違いないでしょう。

私はダビデのように讃美歌を作った事はありませんが、
ダビデの信仰に学んで生きたいと強く願い求めます。

 

1.賛美の力と恵みが有ります。

ダビデは羊を飼っている羊飼いの少年で、
サウル王に使わされるような有名な人ではありませんでした。しかしサウルが苦しむ時、
ダビデの賛美することによって王は癒されたのです。
ここにダビデには賛美の癒しの力と恵みが見えます。

これらの事はダビデ一人にしか出来ない事では有りません。
今もダビデの信仰を持って歩むとダビデと同じ力と恵みを味わうのです。

これは神様が神を信じる全ての人に与えられた恵みです。
私は罪が有るからと言って、或いは信仰が弱いからと言って、
神の恵みが分からないと思うかもしれませんが、神の恵みはいの恵です。
ルカによる福音書15書の放蕩息子の喩えてとして教えられた様に、
恵みを受けるのに相応しい正しい事が何も無いのに与えられる恵みだからこそ、
神の惠には感謝するしかないのです。

ですから教会はいつも賛美を讃えるのです。

辛い時も、嬉しい時も、暗闇の中にいても、幸せな時も、
いつも賛美するのです。

これらの賛美には力と恵みが有るのです。

聖書にはダビデが賛美すると悪霊からサウルの心が癒され安まって気分が良くなり、
悪霊はサウルを離れたと書かれています。

使徒言行録16:25には『真夜中ごろ、パウロはシラスが賛美の歌を歌って
神に祈っていると他の囚人たちはこれに聞き入っていた。』そして26節には
『突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、
全ての囚人の鎖も外れてしまった。』と書かれています。

パウロとシラスは牢に閉じこめられ暗闇の時でした。ただ救いの福音を伝え、
占いの霊に取りつかれている女の奴隷から占いの霊を追い出した事で起きた苦しみでした。
ですから人間として良い事をし、
人を助ける事をしたのに自分が苦しむことになったのは辛いことでしたが、
パウロとシラスは賛美し祈ったのです。その賛美と祈りは神の業が行なわれ、
神の恵みと新しい道に導かれるきっかけに成りました。

聖書の多くの箇所で、賛美の恵みとその力強さが記されています。

賛美と共に歩みましょう。賛美する事で神の新しい道は必ず開かれるのです。

 

2.賛美は祈りです。

勿論竪琴を持って賛美するダビデの姿を思うと賢く見えるかもしれません。
まだ少年でしたから、体が小さい少年が素晴らしい竪琴を演奏することで
多くの方々から素晴らしいと認められたのでしょう。認められるくらいなのだから、
竪琴をかまえて演奏する表情とか歌声などは自分と違うと皆さんは思うことでしょう。

人間は上手に歌わないと誰も聞いてくれないでしょうが、
でも神様は耳で聞くのではなく心で聞く方です。

人間は音痴の歌は嫌がりますが、
神様は音痴でも心から告白として歌う讃美歌を何よりも聞いて下さると信じます。

賛美は音楽ではなく祈りだからです。

賛美を祈りとして捧げ、心からえるのです。

詩編は詩ですが賛歌とも言うのです。

詩編の御言葉を読むと、これこそ心から叫ぶ祈りであり、
神に向かって賛美する姿が浮かびます。

御言葉を読み、そして神に祈り、声を出して詩編の言葉を読むと、
素晴らしい祈りにも成るのです。

私は祈ることが出来ないと思った時に詩編を開いて声に出して読んでみてください。
或いは讃美歌を開いて讃美歌の歌詞を声に出して、読んでみて下さい。
この時こそ自分の心を神に捧げる祈りと成るのです。
讃美歌を、心を込めて歌詞の一つ一つを思いながら読むと、素晴らしい祈りに成ると思います。

ある歌が上手な人に、どうすれば上手く歌えるのですかと聞かれた時、
このように答えたそうです。『先ず歌の歌詞を読む、そして歌詞の言葉を絵に描いて見る、
この歌詞が伝えたいメッセージは何なのかを物語りにしてみる、
そうすると自分の歌を聞く人に何かを伝える事が出来る、
これが自分の歌の秘密です』と答えたそうです。

聖歌隊の練習の時にも、先ず歌詞の意味を深める、歌詞の言葉をきちんと伝える事だと聞いています。

賛美は賛美を作った人の信仰を思い、の歌ではなく、自分の賛美として、
祈りと共に賛美すると、恵みを味わうのです。

 

3.いつ賛美しますか。

絶えず祈るように絶えず賛美しましょう。

ダビデはいつも自分の全ての事を詩に書いた方です。

 詩編を読むとダビデの環境が分かるように成ります。
苦しみの時、悩む時、困った時、幸せな時、嬉しい時、喜びの時、
全ての時にダビデは自分の思いを詩にして書き、
賛美として祈った方であることに気づきます。

祈りと共にいつも賛美する生き方をしていきましょう。

主の恵みと助けが溢れますようにと願います。