説教:子供に教えるべき事

聖書:箴言 221-6

『名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる。
金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた。

思慮深い人は災難が来ると見れば身を隠す。
浅はかな者は通り抜けようとして痛い目に遭う。
主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。
曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る。
若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。』

 

 

ハレルヤ!今日は子供の日です。
皆様の家族のすべての子供たちに主の愛が
注がれ神の祝福を受けて育ちますよう願い祈ります。

子供たちは未来への大きな財産です。

今日の聖書の6節には若者の歩むべき道の初めを教育せよと書かれています。

ここで若者とは誰ですか。
口語訳の聖書には子をその行くべき道に従って教えようと、
リビングバイブルの訳には子どもの時に正しい生き方を教えおけばと訳しています。
英語の訳には
Children、と訳しており子供を言われています。

子どもたちに教えるべき事とは何ですか。
日本は先ずしつけ教育をしていると感じます。
しつけ教育についてこのように説明が有りました。
『しつけとは
教育することと言い換えても良いが、
教育一般よりも生活全般に根ざした、
更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。
特に言葉が理解出来ない幼児の教育に関しては、
様々な態度で接することで「やって良いこと(=誉められる)」
「やってはいけないこと(=罰せられる)」の区別を
つけさせることでもある。』と言われています。

でも今の時代にはしつけ教育を主な家庭では行っていますが
そうでもない家庭も増えているのではないかと思うのです。

学校教育では世界の万物は神の創造ではなく進化論に基づいて
教えているため
,]子供が中学生に成ったら教会から離れてしまいます。

6節の聖書をリビングバイブルにはこのように訳しています。
『子供の時に正しい生き方を教えておけば』と

人生の生き方として正しく教えるべきは
1
節には冨よりも名誉を銀貨より品位、
2節には神は創造の神である、
4節には主を畏れて身を低くする謙遜を教えるべきとして書かれています。

なぜ富よりも名誉を大事に教えなければならないのですか

韓国には昔は名誉は上流階級(兩班)の物、
しつけがなされてないことは下流階級と言われていました。
ですいから上流階級(兩班)の人々は
食べ方、歩き方、話し方を教えましたが、
今はお金がないと生きていけない、
上流階級(兩班)としての生き型が食べ物を与えてくれないと思い、
大事な人間としての生き型を捨てて
冨を優先する方向に成ってしまいました。

資本主義の世界では冨が優先的に成っています。
これは聖書の教えと反することですが、
教会もイエスに
3度有った誘惑の事(石でパンを作って食べなさい)を教えていながら、
御言葉より冨にひれ伏しているように見えます。

名誉を選び正しく歩む理由は神の創造に基づいています。
人は神の似姿に作られ、神の息を吹き込まれた者だから、
神の口から出る言葉で生きる事が聖書の教えなのです。

たとえ神様がノアに箱舟を作りなさいと命じられたからノアは箱舟を作り、
大雨が降ったときにも安全でしたと聖書は教えています
。創世記
6:15節には、箱舟は長さ300、幅50高さ30の形で作られたと書かれています。

この形をわたしたちが読んでも何も驚くことはないのですが、
船を研究している方が読むとびっくりします。
なぜなら船づくりの基本を教えているからです。

今も多くの方々が聖書を愛し、自分の人生の生き型として用い、
創造の神として信じています。

人間はサルから進化した者ではなく神様の命から
創られた被造物として神が愛している存在としての人間であることを
教えなければならないのです。

日本人の女性と結婚したニック・ブイッチは生まれた時から手足が無い人です。
でも彼の両親は何時も神はあなたを愛している、
私もあなたを愛してる。と話しかけたそうです。
彼は神の愛を信じる前には苦しみの中にいましたが、
今は誰よりも多くの人々に希望と勇気を与える者となっています。

神の存在そして神があなたを愛していることを教えるべきです。

自分の命と体は自分の物ではなく神様の物であり、
神様からいただいた命ですから自分の命と相手の命を大事にする生き型を教えるべきです。

自分のために生きるのではなく共に生きる志、
共に生きる喜びを持って生きる事が出来る正しい
信仰の環境を作る親としての使命を守ることです。

何よりも神の愛と全ての事の希望の光と成る、
神と共に生きる自分の背中を見せるために、
与えられた命を御言葉と共に行きましょう。