題目:平和が有るように
聖書:詩編122篇
主の家に行こう、と人々が言ったとき/わたしはうれしかった。
エルサレムよ、あなたの城門の中に/わたしたちの足は立っている。
エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い そこに、
すべての部族、主の部族は上って来る。
主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
そこにこそ、裁きの王座が/ダビデの家の王座が据えられている。
エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように。
あなたの城壁のうちに平和があるように。
あなたの城郭のうちに平安があるように。」 わたしは言おう、
わたしの兄弟、友のために。
「あなたのうちに平和があるように。」 わたしは願おう/
わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように。」
ハレルヤ!主の平和があるようにと挨拶しましょう。
今日は8月4日です。西那須野教会では8月を平和月間としています。
平和のために祈り、聖書から語られる平和のメッセージを学び、
平和を考え、平和を求めて平和を作り上げ、平和を実現することを望みましょう。
今の世界の現状は平和とはほど遠く感じます。
世界一の平和憲法とされていた平和の憲法を変えようとしています。
最も大事にしなければならない隣国との間には壁が高くなっています。
共に生きようとするならば、平和な環境を生み出しますが、
自分の国を優先する思いが強いと緊張を高めます。
夏休みに韓国に行って来ました。私を支援している教会を訪ね色々話をしました。
今の状況を思うと日本宣教のために支援したくないですが、
と言いながらも祈りを持って新たな心で神様の業に
委ねて行きますと答えてくださり恵みの時にも成りました。
今日のみ言葉から学ぶ平和とは何でしょうか。
6節にはエルサレムの平和を求めています。
エルサレムとはイスラエルの国を意味します。
今「エルサレムの平和を求めよう」という6節の御言葉を読んだ時、
皆さんは如何思いましたか。
エルサレムは神の国を意味していますから
一つは全世界の平和を求めて祈り、歩むことです。
二つ目はそれぞれ自分が属した国の平和を求めることではないでしょうか。
7節には「あなたの城壁のうちに平和があるように」とすすめており
8節には「私の兄弟、友のために、あなたのうちに平和があるように」と書かれています。
聖書の平和への教えとは国と世界の平和、地域の平和、
そして私とあなたの間の平和を求め歩む事を教えています。
全ての平和を実現するには、
先ず私たち一人一人が個人的に平和を求めないと出来ないのではありませんか。
皆さんは自分のうちに平和を作り上げるために何をしていますか。
皆さんが持っている平和への道とは何ですか。
その平和は何処から来るのですか。
今日は今日の御言葉から平和を学びましょう。
平和作りの始まりは一人一人個人から始まります。
自分の心が平和でないと平和は始まらないのです。
ヨハネによる福音書 14:27には『私の平和を与える』とイエスは約束しました。
イエスが自分の平和を分かち合うとは、イエスご自身に平和が有ったということです。
多くの方が平和になろうと叫び、平和を作り上げようと働いています。
しかし真の平和はイエスが与えて下さる平和にこそ
本当の平和があるのだと聖書は語ります。皆さんが思う平和とは何ですか。
政治家が思う平和とは軍隊の力で自分の国を守る事です。
政治家とは多数の人に向けた事には良く働くのですが、弱い人、
小数の意見は無視しています。自分の利益を求める平和とは本当の平和では無いでしょう。
ルカによる福音書2:14節はイエスのご誕生を告げる天使の歌です。
「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と。
イエスの誕生は平和を告げることから始まり、十字架の道で平和を実現して、
ルカによる福音書24:36にあるように復活なさったイエスが、
弟子たちが皆集まった時に真ん中に表れて、
「あなたたちに平和が有るように」と復活後の初めての言葉も平和の挨拶でした。
イエスが与える平和はイエスご自身が十字架の上で死ぬことでなされた平和です。
イエスを信じるとはヨハネによる福音書1:12の御言葉に従って見ると、
イエスを受け入れることです。イエスを受け入れるとはイエスの思い、
心を学び、イエスから頂いた平和の恵みを共に分かち合って平和を守ることこそイエスを信じる事です。
私はイエスの十字架の恵みと愛を思い浮かべることでイエスの平和を受けています。
これらの平和をどう実現していけば良いのでしょうか。
今日の御言葉にはエルサレムと町と、兄弟や友たちに平和が有るようにと教えていますから、
先ず一つ目はいつも出会っている兄弟や友たちと平和を求めて歩む事です。
私とあなたが出会う時には、平和を求めて祈りながら出会いなさいと
聖書は教えていると私は理解します。人と人が出会うと喧嘩する時もありますが、
必ず平和に仲直りが出来るよう、クリスチャンとしてこちらから、
自分から平和を求めていく事が大事ではありませんか。
相手が先に詫びないからといって裁くのではなく、イエスの愛をもって和解し、
平和の環境作りに足を一歩進める事で平和は生み出されるのではありませんか。
相手に平和が有るようにと祈る心とは相手を大事にする事です。
この世の世界は自分だけを大事にしています。
自分のためなら相手を傷つけても何とも思わないほど、自分を守ろうとしています。
今の多くの事件は自分自身を優先してしまう姿勢で起きています。
このことからイエスは、人と人が出会う時に平和を求めているかと
自分に問いかける事が信仰者の生き方だと教えているのです。
平和を作るために、相手に対して平和の心を持って生きるには、
隣人を自分のように愛するイエスの教えに従っていくことです。
いつも相手に平和を告げ、祈ることは相手を愛することであり、
平和への道ではありませんか。相手に平和が有るようにと祈る事とは、
罪人のために自分の命を捨てたイエスのように自分より相手を優先する事で始まる平和なのです。
二番目は何処に行っても、「この町に平和が有るように」と祈る事です。
散歩する時に、そして運転する時に目に見える町、地域を見ながら、
この町に平和が有るようにと祈りましょう。
そして全ての国々に平和が有るようにと祈りましょう。