2019310日 西那須野教会主日礼拝 メッセージ 大下正人

「種が内にあれば」Ⅰヨハネの手紙 228310

 さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。
そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、
御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことはありません。
あなたがたは御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者もみな、
神から生まれていることが分かるはずです。今朝の御言葉は語っています。
まず私たちは御子の内にいつもとどまりなさいと聖書が語られているように、
私たちにとって何が大事であるか明白です。
神様の内にいることがどんなに守られているかを考えてみてみましょう。

私たちは、色々なものに囲まれて暮らしています。
しかしすべてが順調なわけではありません。怖い思いをすることもあるでしょう。
苦しい思いをしたことがあるでしょう。反対に自分がこうしたいと思っていても
うまくいかないこともあるのではないでしょうか?
もちろん嬉しいことも沢山あるでしょう。しかし神様がもしいなければ、
信仰がなければどうでしょうか?神様の存在がなければ、なぜ、どうして、
自分だけと不幸が重なってくる様に思えます。しかし私は思うのです。
神様の存在を知れば、私たちは、道が開かれていくのではないでしょうか?
神様に委ねることによって、自分が苦しいことさえも神様が共に
歩んでくださることを確信することができるのです。それはなぜでしょうか?
それは神様が私たちを愛してくださるからなのです。
その愛こそが私たちに蒔かれた種なのです。神様の種まきは大胆です。
私たち人間は、よく耕した柔らかなところに大事な種をまきます。
しかし神様の種まきは、人間がまさかと思うところにも種をまかれるのです。
それは道であったり、石の上であったり、いばらの中であったり、
そして良い土地にも蒔きます。しかしその蒔かれた種が全て順調に
育つわけではないのです。道に落ちれば、鳥が来て食べてしまいます。
石の上にまかれれば、日に照らされて枯れてしまいます。
いばらの中に蒔かれたならば、伸びますが元気に育ちません。
やはり良い土地のほうがより種は成長することができるでしょう。
しかし油断をしているとあるものが独麦を植えてしまうかもしれないのです。
また、雨が降らずに枯れてしまうかもしれないのです。
このように様々な場所であっても、リスクもあるということを
知らなければなりません。反対に悪い条件下にあっても
神様の種の生命力やエネルギーは、逆境をも跳ね返す力が備わっているのです。
つまり神様の愛は私たちの心に芽を出させ、大きく成長させるのです。
しかし神様の種に気づくことさえできれば、良いのですが、
なかなか人間はそのことに気づくことができないのです。

そこで神様は、私たち人間にある計画を思いつくのです。
それは御子なるイエス様を準備してくださったのです。
イエス様がなさったこの世での行いは、
人々が守らなければならないとされていた律法の解釈を
正しく理解させ、社会で寂しい思いをしている人に寄り添い、
癒されました。また、イエス様の話を聞きたくて集まった
5000人に
食事の準備をなさいました。このことに多くのものが
イエス様に従ってまいりました。しかしイエス様は、
その業を行う前にはあることをしていました。それは何でしょうか?
それは、神様とのつながりを持つことです。つまり祈りをささげていく行為を
常に行っておりました。その行為こそがイエス様の特徴であり、
正しい者とされる所以です。このことは、ご自身が十字架にかかる時まで
貫き通されたのです。この揺るぎない信仰こそがイエス様の強みなのです。

私たち人間は、どこまでこの神様に対する意識を高めて
祈っていくことができるでしょうか?どこまで行えばイエス様と同じに
なれるでしょうか?それは誰にもできません。なぜならイエス様は
神様だからです。私たちはどんなにあがいても人間のままです。
神様を超えることはできませんが、御子が現れるとき、
御子と似た者にはなることが出来るのです。
しかしその姿形まではわかりませんが。
まずすべきなのは御子に希望を持ち続けることによって
私たちは清い者とされるのです。

そして次に言われているのが誰にも
惑わされないようにしなさいと注意を喚起いたします。
イエス様を見習って歩んでいれば正しい人となります。
しかし私もそうですが人間というものは誘惑にすぐ負けてしまいます。
ちょっと位良いだろうと考えてしまうと、途端に悪に負けてしまうのです。
そんな時にも有効なのがお祈りです。神様につながってさえいれば、
悪を断ち切ることができます。それこそがイエス様の大きな業の一つです。
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ神様が
私たちにイエス様をお与えになったのです。神様が蒔かれた種は、
誰もが持っているのです。その根拠は、
神様が私たちを創られた時のことを思い出してください。
神様は私たちを神様の似姿に創造されたのです。
そして決定的なのは、神様の息を鼻の穴から吹き込まれて、
息をする者となったのです。その蒔かれたものは、
自分たちが気付かないだけで、私たちの心には神様の愛であふれているのです。
だから、私たちは、神様から生まれたので罪を犯すことができないのです。
神様の計画を信じることによって、その悪から離れることができるからです。
だから落胆する必要はありません。どんな人間でも悪から立ち帰らす力を
神様は持っておられます。人間同士では無理に思えることであっても、
神様はそのことをご存じなのです。だからこそ私たちにはすべきことがあります。
それは互いに愛し合うこと、互いに祈りあうこと、そして神様に委ねていくしか
人間が悪から神に続く解決の道はないからです。どうぞ神様が与えてくださった種が
神様を知らない人の心を大きく成長させてくださるように
お祈りをしていきたいと思います。
それではひと言祈ります。

ご在天の主なる神様、感謝いたします。
あなたは私たちに素晴らしい種をまかれたことを感謝いたします。
そのまかれた種によって、あなたを信頼し、
歩むことができますように、またあなたを知らない人に
あなたの愛を伝えていくことができますように導いてください。
どうぞ苦しみにある兄弟姉妹をあなたの愛で満たしてください。
この
1週間もお守りください。
このお祈りを主イエス・キリストの御名によって、祈ります。
アーメン