2019年3月31日
荒川朋子
『農村伝道はどこへ?』
聖書 マタイによる福音書25:40

本日は私がなぜ「農村伝道」というテーマを選んだのか、
不思議に思われている方もいるのではないかと思います。
この教会の過去の説教題を調べたことはありませんが、
おそらく私が西那須野教会に通っているここ20数年間でも、
「農村伝道」が説教題に上がったことはないのではないかと思います。
西那須野教会だけではなく、それは日本の他の教会でも同じではないでしょうか。
日本の多くの教会は、この教会であっても、農村伝道の結果生まれた教会であるにも関わらず、
現在の日本ではすでにこの言葉は大変なじみの薄い言葉になってしまいました。
そもそも日本にもう農村と呼ばれるところが果たしてあるのか、
よって「農村伝道」なんてもう死語ではないだろうかという方もいるのではないかと思います。
しかし、農村伝道神学校にルーツを持ち、アジア農村指導者養成専門学校という名前をもつ
私たちアジア学院の人間にとって、また世界の農村からやってくる学生にとって、
農村伝道は大変身近で重要なテーマでなのが事実です。
また、今日とくにこのことをテーマにしたいと思ったのは、
アジア学院理事長の星野正興先生が、2年前の「福音と世界」という冊子に
書かれていた『「農村伝道」は「失敗」だったか?』という記事を最近再び目にし、
その内容に触発されたからです。ですので初めにその記事をちょっとご紹介したいと思います。
その記事はわずか5ページのもので決して長いものではないのですが、
農村伝道という言葉が1921年にアメリカで最初に使われた時から、
その後の日本での展開、特に星野先生ご自身が50年以上に亘って
これまで関わってこられた農村伝道、それを取り巻く農村社会の変化、
最後に将来の展望などが、とても簡潔にまとめられていました。
そしてそこで協調されていたことは、農村伝道は初めから「「農村の窮状」に着目した
極めて社会運動的な用語だった」ということです。日本においては、賀川豊彦によって、
1924年の日本基督教連盟の第2総会で初めて「農村伝道についての建議」というものが提案されて、
それが採択された時にも、「農村伝道」の意味は「伝道」という側面よりも、
農村の社会的要請に応えるというかなり社会的な命題が前面に出ていた、と星野先生は分析しています。
賀川豊彦が日本農民組合を結成したのも農村伝道の1例ととらえており、
その他、貧しい農村において教育や医療の改善といった社会的な課題に応えてきた歴史的な事実から、
星野先生は「「農村伝道」は教会の社会活動であった」と明言しています。
しかし、この「「農村伝道」は教会の社会活動」という指摘は、
最初に申しましたように日本の農村の実態を深く知る前にアジア学院に関わった
私のような者からしてみると、驚くようなことでもなんでもなく、ごく当然のことのように思えました。
言うまでもなくアジア学院の学生,卒業生は、農村の人々の生活向上ための
社会活動に携わる人たちです。その中でもキリスト教会に属する学生、卒業生たちの団体は、
教会の使命として、農村社会のありとあらゆる問題に対処するために、多角的に取り組んでいます。
アジア学院の側から見ると、農村伝道はまずまぎれもなく教会の社会活動です。
「お腹が空いていては、人が教会なんていけるわけがない。」「自分の家族を養うお金もないのに、
献金なんか出せっこない」、とアジア学院の学生が言うのをよく耳にしますが、
まずは最低限の物質的な必要を満たすこと、まず人が教会に行けることができるための
生活環境を整えることが農村教会の使命、優先課題なのです。
1月に私が訪問したケニア聖公会の農村開発部門(Anglican Development Service Mt. Kenya East)
のポスターです。この団体にはこれまでに4人の職員がアジア学院に送られています。
このポスターはその団体の事務所に掲げられていたものなのですが、
大きくFood Security(食料安全保障)と書いてあります。この団体が
1980年代から取り組んでいる中心課題です。そしてその下にはこう書いてあります。
「1980年設立以来、私たちは貧困と栄養失調の撲滅を目的として活動し、適正技術の導入、
地場食物の推奨、野菜作物と畜産の増産を進めます。
在来種の野菜、耐乾性(乾燥につよい)品種、早生品種、
そして水の有効利用によって乾燥地帯の農業を実践します。」
教会の社会活動の中心が、人々が健康に生きることのできる食料を確保することと
はっきりと掲げられています。しかし、この団体の活動はそれだけではありません。
食料安全保障と並んで、自然資源管理、持続可能な生活、能力開発とコミュニティー開発、
社会開発(悪い慣習の除去、平和と正義とための啓蒙活動)、健康増進、そして全国にある
活動センターの自立的活動の推進という7つの広範囲に亘る分野の活動を非常に組織的に推し進めていています。
教会がここまで社会活動に踏み込むことに驚く方もいるかもしれませんが、
この団体が何も特別なわけではなく、このケニア聖公会の団体の例は、
ある意味私たちの知る典型的な教会主導の農村開発活動ともいえます。
この団体の場合は、ケニア国内の5つの地域に事務所と活動センターと病院を有し、
約200人のスタッフを抱え、政府機関とも協働して、
専門的な技術や知識を持った有能な職員も多く所属している。教会の社会活動が、
農村の人々の生活に密着し、ニーズに的確に応え、なくてはならない存在になっているのです。
開発部門は教会組織の中の大変活発で重要なSectionなのです。
日本の教会でも社会問題に取り組む部署は当然あります。でも別組織を作り、
専門のスタッフを抱えて専門的に活動しているケースは少なく、
牧師と少数の教会員が他の役目をいくつも兼任しながら関わっている場合が多く、
決して活発とは言えません。今日本で子供の貧困、虐待が今大きな問題になっていますが、
この問題に取り組む教会、地区はまだまだ少なく、専門家を有して専門部署を作るなど、
夢のような話ではないでしょうか。途上国と言われるところでは、また農村地域ではなおさら、
行政の機能や財政基盤が弱く、政府以外の、NGOや教会が担わなければならないことが多いので、
必然的にそのように発展せざるを得ないのかもしれませんが、
星野先生のいうところの「「農村伝道」は教会の社会運動」というのが、
教会の命題として大変活発に展開されているのです。そしてその点で、
日本の教会は学ぶことがとても多いのではないかと私は思います。
さて、星野先生は50年に亘るご自身の農村伝道との関わりを振り返って、
このように言っておられます。「私は、農村伝道に関する先の論考で、
「私の農村伝道は失敗であった」と書いた。その思いは基本的には変わらない。
地域に長く生きていた農民(農家)への伝道を試みて来たが、教会には誰も来なかった、
ということである。「もし、農村伝道というものが、受洗者を増やして
礼拝出席者を伸ばすことだとするならば、それはまことに至難の業であると言えよう。
かつては農村教会だった教会も、地域の変動とともに農村ではなくなった地域に立っているし、
その地で農業を担う者はほとんど教会には集まらない。
今、農村教会と呼べる教会は本当に指折り数えられるくらいしか存在しない。」
しかし、「しかし」と先生は続けます。
「私は、この状況を見て、前回書いたような「農村伝道は失敗であった」という言い方はしたくない。
では何と言うのか。確かに「農村伝道」は、つまり農村における伝道は失敗だったと言えよう。
だが、農村におけるキリスト教運動は決して失敗とは言えぬ。
「農村伝道」の本旨は人数を増やすことでも受洗者を増やすことでもなく、
1(前述)に述べたような農村におけるキリスト教社会活動の諸命題を実践することだったからだ。」
そして、星野先生は、ではこれからの農村伝道はどうなるのかと考察されています。
もし「農村伝道」が本来の姿、つまり農村における教会の社会活動に戻るとするならば、
これに全教会の意思として取り組まなければならないだろう、と言っておられます。
例えば、日本の地方において農村社会活動を行ってきた「農村センター」を財政難から救って
全教会的に支えていくことが求められる、と言っています。さらに、アジア学院にも言及して、
アジア学院の活動も「農村伝道」と位置付けて、全教会的にアジア学院の働きを支援することも、
提案しています。(正直、これはうれしいと思いました。)
そして最後に結論として、新しい「農村伝道」がなされるためには、
だれしもが持っている「伝道」「教会」ついての固定観念を取り払っていかなければならないだろうとしています。
「農村固有の問題を取り上げるには、新しい方策を考えねばならず」、と続くのですが、
残念なことに、先生は、「それには紙面が足りないので、「今後の「農村伝道」の方策展開については、
次の人たちにお任せしよう」、として記事を締めています。
私はそのちょっと突き放したような終わり方に際して、「えっ、これで終わり?」という
満たされない気持ちになりながらも、自分に宿題を投げかけられたような気持ちにもなりました。
そしてその時に、安積力也先生の話を思い出しました。安積力也先生は、5年前に山形県の
キリスト教独立学園高校の校長先生を最後に引退されましたが、
新潟県の敬和学園中高校の校長先生などもされ、いわゆる日本の農村地域で長く教育に携わってこられた方です。
私はこの安積先生がよく話されていた「辺境」 <PPT> という言葉を思い出したのです。
そして安積先生が数年前にICU教会で話された「「辺境」を生きる教師へ」という説教の中で、
このように言っておられたのを見つけました。
「辺境」とは「中央から遠く離れた国ざかい」を指す言葉です。
英語で言えば、"margin"<PPT> がこれに近い言葉でしょうか。
その"margin"の原義(もともとの意味)は「水辺」。へりとか、縁(ふち) を指します。
要するに「辺境」とは、中心から一番遠く離れた所のことであり、転じて「あまり重要でない」
「中央や中心に比べて影響力を持っていない」、したがって「取るに足りない場所」だという
マイナスの含意を持ちます。社会の中央に住んでいようと地方に住んでいようと、
「中央指向」意識にとらわれている人間にとっては、「辺境」とは、この程度の意味しか持ちません。
しかしもう一つ、近い言葉がある。 "frontier"という米語。これはご承知のように、
「開拓地と未開拓地の境界地帯」を指します。この意味での「辺境」とは、一方では、
「中央」の力が及ぶ限界を示す場所であり、言い方を変えれば、
「この世」の力・人間の自力の力の限界が否応なく露呈する場所です。
しかし逆に見ればこの場所は、その限界や行き詰まりを突破する可能性に
一番近い場所なのです。私は、この意味での「辺境」に限りなく惹かれながら、
その後、いくつかの小さなキリスト教学校現場を生きてきました。
 私はこれを読んで、アジア学院の学生たちの母国での活動と結びつけて、
また先の星野先生の宿題の答えとして、「農村伝道」をfrontierの意味を含む
「辺境伝道」と置き換えて考えてみてはどうかと思いました。そう思うと、なんだか力が沸いてきませんか?
アジア学院には17のキーコンセプト、
研修の土台となる基礎概念のひとつにServing marginalizedというのがあります。
先ほどの「辺境」の訳、margin(縁)の動詞にmarginalizeという言葉があります。
〈人・ものを〉重要視しない,無用のものとして扱う,軽んじるという意味です。
ここからmarginalized peopleとは重要視されない人、無用と思われている人、
軽んじられている人、虐げられている人という意味になります。
そして今日の聖書の個所にある「最も小さい者のひとり」こそMarginalizedされた人であります。
安積先生の言葉をお借りするならば、農村伝道あるいは辺境伝道は、Serving Marginalized、
即ち虐げられている人々に仕えることとイコールで、仕える者にとっては、最も不利な場所で、
しかし同時に自分の自力の力の限界を突破する可能性に
一番近い場所で神に仕えるということになります。このことに都会も農村もありません。
中央、権力から遠く離れたところ、重要と思われない場所、取るに足らないと思われる場所、
軽んじられる場所、つまりMargin(辺境)は都会に中にもあります。
むしろ人間関係が薄く殺伐とした都会にこそ、このmarginalizeされた人々は
多いと言っていいかもしれません。
となると、日本の農村伝道は失敗か、終わりかなどと言っている場合ではなくなってきます。
農村伝道、辺境伝道には限りない可能性と使命があると思われてきます。
今すぐにでも出て行って行動を起こさなければならないほどだと思います。
私たちがそれぞれの置かれている場所はどこなのか、
その場所での辺境(margin)とはどこなのか、
辺境の人々(Marginalizeされた人々)とは誰なのか、
私はその方たちが見えているか、見えていたとして果たしてその人たちに仕えているか、
仕えようとしているか、自力の力の限界を突破する可能性に
一番近い場所で果敢に神に仕えようとしているか、
それを問うて行いに変えるのが農村伝道・辺境伝道ではないかと思うのです。
アジア学院の2019年度の学生たちが今日初めてそろってこの礼拝に出席いたしました。
教会の皆さんにはアジア学院の学生たちをいつもとても温かくお迎え頂いていて、
学生たちも皆さんとの交わりをとても楽しみにしています。
遠い国から、文化も言葉も全く違う土地で、
家族と離れて母国の人々のために懸命に頑張る姿をよくご理解いただいて、
支えていただいていますが、もうひとつ、ぜひ彼ら、彼女らを農村伝道、
あるいは辺境伝道の分野での専門家として捉えていただいたら、
さらに交流が深まるのではないかという思いを持っております。
彼ら、彼女から農村・辺境伝道について学ぶ、課題や成功例、
失敗例を教えてもらうという気持ちで交わっていただきますと、
教会の交わりはまた何倍にも豊かになるのではないかという思いがいたします。
このような世界の辺境から集められた仲間が、この教会に集う恵みを神様に感謝しつつ、奨励を終わりたいと思います。
祈り Let us pray,
ご在天の父なる神様、2018年度最後の聖日をこうして豊かにお守りいただいたことを感謝いたします。
2018年度を振り返って、与えられえた豊かな恵みに感謝しつつ、
明日より始まる新しい年度に新たな希望を与えれて進むことができますように、ひとりひとりをお導き下さい。
農村伝道という言葉が忘れられようとしている時に、
再び、過酷なフロンティアで最も小さな者に仕えることで神に仕えることができるかどうか、
私たちが自分たちに真摯に向き合うことができるように、
私たちに勇気を与えてください。私たちの目を開かせてください。
アジア学院の2019年度の学生を無事に日本に届けて下さったことを感謝いたします。
この教会に集う、ひとりひとりの交わりが、この1年も祝されますように。
この小さき祈りと感謝を御前にお捧げ致します。アーメン