2019421日 西那須野教会 イースター礼拝   

大下 正人

聖書 ルカによる福音書243649

説教題 「平和があるように」

みなさんイースターおめでとうございます。神様の復活は私たちに力を与えてくださいます。
どうぞ周りの方と握手をして、「ハッピーイースター」とあいさつを交わしましょう。

イースターは皆さまを驚くべき喜びへと導かれます。その驚くべき御業は、
以前から知らされていても信じることができず、実現しても信じられないようなことでした。
それはなぜなのでしょう?人は常識にとらわれてしまうと不思議なことを受け入れることは難しいのです。
その一連の驚きは、まずイエス様が十字架につけられて、その体を引き取ったのは、
ユダヤの町アリマタヤ出身のヨセフという名の議員だったということです。
ユダヤ人の議員がなぜ引き取ったのか、これも常識的に考えるならば、ありえないことなのです。
この人は、どうしてもこの遺体を引き取りたいと思って
ピラトに勇気を出して懇願して譲ってもらいました。
それはこのヨセフも神の国を待ち望んでいたからです。
そしてその様子を見ていた人がおりました。
その人たちはガリラヤからイエス様に仕えてきた婦人たちでありました。
その様子をうかがい、香料と香油を用意して、次の日は安息日でしたから、
その次の日朝早くイエス様の体にその香料と香油を塗ろうと考えていました。

 早朝イエス様が収められている墓に行くと様子が変なのです。
どんな様子かと申しますと墓を抑える大きな石がわきに転がしてあるのです。
その当時のものは大きくてとても一人では運べない石なのです。
それが転がっているのも驚きです。ですけどももっと驚きなのは、
そこに置いてあったイエス様の遺体がないんですよ。
だって前日に墓に葬ったのを確かに見たからです。「えっ、なんでないの?」
場所を間違えることは絶対にありません。その前日は安息日ですから安息日の決まり事に従い、
誰も仕事をするはずがないのです。たとえ動かすことはあっても
早朝ですから、必ずあるはずです。遺体ですから自分で動くということは
まずありえないと思っていたからです。もうパニックですよね。放心状態でいると、
その婦人のそばに輝く衣を着た二人が現れました。
さらに驚き何者かわからないので怖くなって顔を伏せると二人が語りかけました。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方はここにおられない。
復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しなさったことを思い出しなさい。
人の子は必ず、罪びとの手に渡され、十字架につけられ、
三日目に復活することになっているといわれたではないか」
そのことを聞き、イエス様の言葉を思い出したのです。
墓から帰り弟子たちにその一部始終を話しましたが、
弟子は誰も信じてくれなかったのです。そして弟子のひとりペトロは
一目散に墓まで走り実際に見て亜麻布しかないのを見て驚いて家に帰っていくのです。

 今度の驚きは、弟子の二人がエルサレムから約11キロ離れたところ
エマオという村に向かって歩いていた時に、起こりました。熱心にイエス様のことを話していると
イエス様が近づいて来て、一緒に歩くのです。しかしそこではその弟子たちの目はさえぎられていたので
イエス様だとわからず、ここ数日エルサレムで起きたイエス様の出来事をたくさん話をして
イエス様がどんな人であったかをイエス様ご自身に話をされるのです。
イエス様が「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれると、
二人はこう答えたのです。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、
行いにも言葉にも力ある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、
死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。
私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
しかも、そのことがあってから、もう
3日目になります。ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。
婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに帰ってきました。
そして、天使たちが現れ『イエスは生きておられる』と告げたというのです。
仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言った通りで、
あの方は見当たりませんでした。」と答えた時に、イエス様が教えてくださったのです。
「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったではないか」
そしてモーセとすべての預言者が聖書は、イエス・キリストについて書かれていることを説明したのです。
そのお話があまりに面白かったので、無理やり宿に引き留めようとした。
食事の席でパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを割いて渡したとき、
そのいつもイエス様がしているしぐさに初めてイエス様に気づくわけです。
そこで改めてイエス様の復活を信じることができたのです。

 そして最後の驚きは、弟子たちの中心に立ってこう言われるのです。
「あなた方に平和があるように」この言葉に弟子たちはどうしたでしょうか?
婦人に復活したことを聞き、一緒に歩きイエス様の言葉について聞き、
パンを割いてもらったことでイエス様の復活を認識したのにもかかわらず、
恐れおののいて、まるで幽霊ではないかとうろたえるのでした。
その態度を見てイエス様は「なぜうろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか、
私の手や足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい。
亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見えるとおり、私にはそれがある」
そのようにして、手足を見せました。その手足には十字架の時に打たれた釘の跡が残っておりましたし、
ほかの福音書の記事では最後に刺された脇腹も見せるのです。
しかしまだ信じ切ることのできない弟子たちに、焼いた魚を一切れ食べられました。
そしてこういわれるのです。「私についてモーセの律法と予言者の諸と詩編に書いてある事柄は、
必ず全て実現する。これこそあなたがたに言っていたことである」
さらに聖書を悟らせるために弟子たちの心の目を開かせて「メシアは苦しみを受け、

3
日目に死人の中から復活する。また罪の赦しを得させる悔い改めが、
その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。エルサレムから始めて、
あなた方はこれらの証人となる」このことがこのイースターの出来事でした。
つまり死者の中から甦られたイエス様は、聖書に書かれてある事柄は全て、
真実であり真であることを私たちに告げます。私たちの心はイエス様のことを聞くと心が慰められ、
心が燃やされていくのです。もしもこの復活が私たちのものでなければ、心は燃えることはないのです。
私たちが苦しい時、つらい時にも神様は愛を与え続けております。どうぞ神様の復活の力を信じて下さい、
神様の愛は永遠になくならず、私たちをいつも全力で愛して下さるのです。

 お祈りいたします。

主なる神様感謝いたします。今日この日神様は復活されました。
十字架につけられても復活し、私たちを愛してくださります。こんな幸せなことはありません。
私たちも疑い、なかなか信じることはできませんが、
どうぞあなたの復活を信じることができますように導いてください。
またどうぞあなたに守られて、あなたの愛を知らない人たちにも愛がいきわたりますように
あなたの愛を私たちに降り注いでください。あなたに守られて愛の中で生活できますように
この
1週間も共に歩んでください。全てのことを感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン