「心に命が与えられる」 
  聖書: 詩編69:31~37
 皆さん元気ですか?と声をかけると元気です。と声が返ってくればほっとしますが、

元気ないですと返事があれば、どうしちゃったんですか?と心配します。

でも私たちはいつも元気でいられれば良いですが、調子が悪い時もあります。

体は健康そのものですが、心穏やかじゃない時もあります。それはなぜでしょうか?

それは私たちに感情があるからです。喜怒哀楽は、神様がわたしたちに与えられた恵みです。

もしも喜怒哀楽がなければ神様の恵みを知ることはできません。

しかし、感情によって妬みや恨みを招くことも事実です。その思いによって人は悪い心が現れると

罪を犯してしまうのです。喜怒哀楽をコントロールできれば素晴らしいですが、

なかなかコントロールできませんよね。ロボットのように感情を持たなければ争い事も起きないのでしょうか?

 神様は人間を創りましたが、人間は神様からの知恵でロボットを作りました。

ロボットは人間ができない部分を補ってくれます。例えば荷物を持つという動作をプログラミングすれば、

人間が持つことのできない重さの物も持ち上げることができますし、

さらにどこにどうやって運ぶとプログラムすれば勝手にやってくれます。

それも人間の何倍もの働きをこなしてくれます。仕事をこなすのがロボットの役割でしたが、

最近ではAIを持つロボットが増えていきました。今まではプログラムを入力するものだけだったのが

学習機能を持つことにより、今まで行ってきたものを修正し、データーで最良の方法を導き出します。

しかしそれはあくまでもデーター上です。どんなに完ぺきなプログラミングであっても、

人間の作ったものですから必ず誤作動を起こすのです。熱くなったり、寒くなったり、カビが生えたり、

湿気が増えると不具合が生じるのです。

私たちの周りを見渡すとコンピューターが使われていないところはないのではないかと思えるほど蔓延しています。

完全であればあるほど信頼してしまうものなのです。そこに落とし穴があります。

今まで話してきて感じることは、神様はわざと人間を不完全なものとして作られたのではないかと思います。

 そこで本日の聖書個所を見てみましょう。この詩編69編ですが、非常に人間の本質を捉えています。

前半部分では、自分の状況が語られています。今ある状況は、大水がのど元まで達する様子が描かれています。

それはこの世での自分の評価はあまり良い状況ではなく、瀕死の状態であり、

その状況を脱出しようと叫び続けて声は涸れ、神を待ち望むあまり目は衰えてしまいました。

自分の周りは敵が数多く、自分を滅ぼそうとする力は増える一方であると告白し、

自分が奪わなかったものさえも償わなければならない。このような状況は、本当につらいです。

そして自分の行っていることも話すこともすべて笑われ馬鹿にされる状況は、生きる気力を奪い取ってしまうのです。

 私たちは、先程申し上げましたように不完全な人間ですから、失敗もたくさんするでしょう。

違うこともたくさんあるでしょう。人の評価なんてそんなものかもしれません。

全ての人が互いに認め合うことができれば、そのような気持ちにはならないはずです。

しかし人間の評価ほど自分本位で考えてしまうものなのではないでしょうか?

本人も周囲の目を気にしすぎてしまいます。もしかしたら、現在の社会もそうではないでしょうか?

自分はこんなに頑張っているのに、誰も見てくれないと評価をされることばかり考えてしまうと、

どうしてなんだと疑問がわいてきます。そして次に考えてしまうのは、相手を恨んでしまうのです。

その心の葛藤は、本人でしかわからない苦痛です。しかし誰かがそのことに気が付くことができれば、

話を聞き、打開策を考えることができます。しかし話し相手もなく、その事を吐き出すこともできなければ、

ストレスが溜まってしまいます。まさに今を象徴しているのではないでしょうか?

 キリスト者は、もしそのような人がいれば、どのようにしなければならないでしょうか?

ヒントは、聖書にありました。聖書のある方はマタイによる福音書5章の38~42節

新共同訳聖書8ページをご覧下さい。それではお読みいたします。あなた方は聞いている通り、

「目に目を歯には歯を」と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。

誰かがあなたの右のほほを打つなら、左のほほをも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、

上着をも取らせなさい。誰かが1ミリオン行くように強いるのなら、一緒に1ミリオン行きなさい。

求めるものには与えなさい。あなたから借りようとするものに、背を向けてはならない。と教えてくれました。

イエス様は、私たちに背を向けなかったのではないでしょうか?私たちと向き合い、

私たちの要求を満たしてくださったのではないでしょうか?それ以上のことを与えてくださったのではないでしょうか?

何よりも私たちと一緒に歩んでくださったその姿勢を私たちが学ばなければならないのです。
 
最後に、本日読んでいただいた個所をもう一度見てみましょう。ここでは、

自分の気持ちが変化していくことが分かります。それは自分の心を神様に吐き出すことができたからです。

今までの苦しい思いや恨みを内に秘めていましたからなかなか気持ちがスカッといかなかったかもしれません。

しかしどうでしょう。吐き出すことによって晴れやかな気持ちになったことでしょう。

その心の重りは、体の疲労よりも非常につらいものです。心がリフレシュされると、

前を向く力が湧いてきます。明日に向かって歩みだすことができるのです。

人間は様々な形でストレスを吐き出そうとします。運動によって、食事によって、山に登ってみたり、

ゆっくり休んだり、自分の心に栄養を与えようとしますが、根本的な解消にはならないかもしれません。

私たちはまずそのストレスになっているものを吐き出すことが重要です。しかし人間には言えないこともあります。

たとえ家族であっても言えないこともあります。特に牧師は秘密にしなければならないことが山ほどあります。

でもその秘密は神様にゆだねています。神様に祈るとき、自分の心をさらけ出します。

自分の思いのすべてを吐き出します。その思いは神様がどのように受け止めてくださるかはわかりません。

しかし吐き出してしまえば心はスッキリするのです。そして健やかな思いを持って歩むことができるのです。

私たちは本当に幸せです。神様が様々な事を聴いてくださることがどんなに恵まれていることなのか、

また新たな思いを持って生きることが出来るのです。どうぞこの恵みを感謝して共に歩んでいきましょう。
  
 お祈りします。
御在天の主なる神様感謝いたします。

あなたは私たちに祈ることの喜びを与えてくださったことを感謝いたします。

あなたは、私たちが苦しいこともすべてご存知です。あなたはその苦しみをすべて聴いてくださり

感謝いたします。私たちは悪い道にそれてしまう弱い者であることを懺悔いたします。

しかしあなたはそんな私を大事にしてくださっています。

どうぞあなたに祈りをささげ、日々を過ごすことができますように。

またあなたを信頼することがどれだけ大切なことかを知ることができますように導いてください。

この1週間もあなたに守られて過ごすことができますように。

このお祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン