説教:主に信頼せよ
聖書:イザヤ書2616

 

ハレルヤ!このように礼拝を守るようになって5週目です。一か月が過ぎました。
外出自粛のため礼拝の映像を何回も続けて見ていますとか、
説教を何度も読んだりしながら、
この様な時だからこそ異なる恵みをいただいて神と共に過ごしています、
とかの返事を頂き、私も私なりに出来る事をして過ごしています。
でも共に集まって礼拝をする事がどれ程の恵みであるかを実感したとも聞いています。
皆さんと共に神の御手が何時も居られることを願い祈ります。
主の平和が皆さんと共に有りますように!

今日はイザヤ書26章の言葉から学びたいと思います。

イザヤ書の24-27章は黙示的であり、
バビロン捕囚以後にエルサレムに帰されることについて書かれています。

その時にはユダの状況が不安になった暗黒の時代でした。
神様は預言者イザヤを用いて暗闇の中に希望のメッセージを与えたのです。

現状の全世界は新型コロナウィルスの事で苦しんでいます。
先が見えない、霧で見通しがきかないように見えます。

イザヤの時代ユダの国がアッシリア王国とバビロニア王国に攻められて苦しんでいたように、
今は全世界がコロナウィルスに攻められています。それで多くの方々が苦しんでいます。

今日はイザヤの言葉を用いて今こそ出来る事を考え、
今こそ心を一つにして神様が私たちに与えたいと思う御言葉を受け入れたいと思います。

苦しみの中に神様の御言葉を思い起こしてください。

先が見えない苦難の道に居るからこそ、神の導きを願い求めましょう。

今こそ賛美する時です。今こそ祈る時です。

今こそ御言葉に耳を傾ける時です。今こそ神に信頼を置く時です。

1. 信頼する時は

「信頼」という言葉が二回書かれています。

苦しみの中、苦難の時に信頼する事が大事です。

苦難の時、暗闇の時に神は御言葉を与えてくださいます。
暗闇の中に神様の恵みと救いが有った時にはこの歌が歌えるであろうと励まされます。
その時には本当に神様の助けとお守りがありますと告白することができると勇気付けています。

信頼するとは信頼する方が居られるから信頼するのです。
信頼できる方、信頼できる所とは何でしょうか。
信頼するとは「避け所が有る」という言葉と同じだと思います。

人生の避け所は何処に有るでしょう。皆さんの避け所が何処に有りますか。
ある人は麻薬を避け所としています。
多くの子供たちや青年はゲームを避け所として過ごしています。
ある方はお金儲けを避け所にして生きています。

子供たちは自分の力ではどうしようもなくなった時や困った時に泣きながらお母さんを探し始めます。
いつもお母さんが面倒を見ていて、子供はお母さんを信頼しているからです。

今は新型コロナウィルスと言う牢に囲まれていると言われています。
それほど苦難、苦しみが有る事を表していると思います。

今こそイザヤ書の御言葉を聞いて下さい。詩編182-3には「主よ、わたしの力よ、
わたしはあなたを慕う。 主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/
わたしの盾、救いの角、砦の塔。 と書かれています。

神こそ私の避け所、救いの岩、砦の塔である事を信じていきましょう。

 

2.なぜ神を信頼出来ますか。

どうして神を信頼できるでしょうか。なぜ神こそが避け所ですか。
コロナに囲まれて逃げる道が無いなら困ります。心が荒れて行きます。
平安が無くなり、笑う事もなくなり、不健康になります。

でもなぜ神様はイザヤを用いて主に信頼せよと教えたのでしょう。

1節には堅固な都、救いの城壁を築き、城門を開いて信仰を守る民が入れるようにされるとあります。

実際にユダの民の目に見えるものとは敵の軍隊と弱って来たユダの軍隊でした。

今、皆さんが見聞きしている事は何ですか。目にしている事は何ですか。
ニュース速報は何を伝えていますか。毎日毎日コロナウィルスの事です。

その中で神様は毎日目には見えないですが、神様の言葉に目を向け、
神を信頼する事を示しているのです。
神を信頼して信仰を持って歩むと3節の堅固な思いを、そして信心を持って
行くと神様は平和の道に守られると約束しておられるのです。

神の約束を信じて、望んでいるからこそ神を信頼するのです。

皆さんには信頼出来る方が居ますか。
神を信頼するとは全能の神として信じる事に関係があります。
信仰告白で、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。と」告白して
信じたから洗礼を受けました。

もし私たちが信じる神が何も出来ず、何の力もなければ、神に委ねて行くことは出来ないのです。
皆さんは全能の神として信じていますか。

ある日お菓子を買って子供に与えました。一回で食べ切れない量でした。
子供はお菓子を持ったまま遊ぶのが不便そうでした。
後で返してあげるから私に預けなさいと言っても、
子供はお菓子の袋を手に握って離しませんでした。
お菓子の袋を渡すと全部なくなると思ったのかもしれません。
そのお菓子を与えた自分の父と母さえ信頼できない心を持っているような気がしました。
今の私たちはどうですか。本当に神を信頼する事が出来ますか。
神に委ねて生きる事にあまりにも自信がありませんか。

ダビデ王は詩編13914で、このように告白しました。
「主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる。」と
ダビデは神の存在、力を知っていましたから、全ての事を神に委ねて、
神を信頼して歩み、その人生を終えました。

あの子供のようにまだ信頼出来なのですか。神を知らないのですか。
神を信頼する事に自信が無いのですか。神を信じようと思いながらも何も出来ないのですか。

もう一度神を信頼する信仰に基づきましょう。

3.神に信頼する者に与えられる恵みとは何ですか。

1節にはユダの地で歌われると書かれています。その歌は勝利の歌です。
神に信頼すると勝利を得ます。今こそ神様に信頼して生きましょう。
勝利の時が必ず訪れます。
勝利の先が見えない時代にイザヤを用いて勝利の日が来る事を約束したのです。
今はコロナで先が見えないかも知れません。
でも良い道に導いて下さる神様を信じて神に信頼し、信仰を持って歩みましょう。
神の恵みは近づいています。

2-3節に神の守りを約束しています。3節には平和を約束しています。

4節にはとこしえの岩、6節には弱い者、貧しい者が力を得ると書かれています。

神様の約束は真実です。神様は約束を守ります。
サムエル記上319にはこの言葉が書かれています。
「サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、
その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。 」と

今週一週間も主に信頼して祈りと共に、賛美と共に、生きましょう。
未来に与えられる勝利を希望として生きましょう。

讃美歌1-286締めの言葉として賛美します。

1. かみはわがちから、  わがたかきやぐら、  

くるしめるときの ちかきたすけなり。

2. たとい地はかわり 山はうなばらの

なかにうつるとも、 われいかで恐れん。

3. かみのみやこには しずかにながるる

きよき河ありて み民をうるおす。

4. みことばのみずは つかれをいやして、

あらたなるいのち あたえてつきせじ。

5. かみのみもとべは つねにやすらけく、

くるしみなやみも 消えてあとぞなき。