聖霊を受けなさい
聖書:ヨハネによる福音書20:19~23
ペンテコステ礼拝・花の日子供の日礼拝おめでとうございます!
今日の聖書には聖霊を受けなさいと教えています。命令形で書かれています。必ず聖霊を受けなければならないとの教えです。
使徒言行録1:4の「4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」との御言葉のように、弟子たちはエルサレムを離れず約速されたものを待ちながら2:1~2節の「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 」とあり、ペンテコステの出来事が起こりました。
この約束は続けて使徒言行録全体に聖霊が与えられて福音が各地に伝えられたことが書かれています。
教会歴はイエスキリストのお誕生を待つ待降節からクリスマス、受難節、復活節、聖霊降臨節が教会歴です。
この中で一番長い期間は聖霊降臨節です。
ペンテコステ、聖霊降臨節の日に忘れてはいけないのは、神様は約束なさった全ての事を全うして約束を守って下さった方だということです。
この神様の約束は守られ今も私たちに聖霊を下さいます。聖霊を下さったことを感謝して、与えられた聖霊を大事に守って、最後の時まで聖霊と共に信仰を守って神様に喜ばれる僕として生きる事を信仰生活と言うのです。
質問ですが皆さんは神様の約束された聖霊を頂きましたか。
聖霊を頂くとは使徒言行録1:8節には「力を受ける」と書かれています。
イエスキリストを信じ信仰生活する時に神様からの力を受けていますか。
聖霊が降る事で力を得ると書かれていますので、イエスキリストを信じて与えられた言葉の通りに信じると力を受けるはずです。
使徒言行録1:42の御言葉を読みます。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」口語訳聖書には「そして一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた。」と訳しています。
聖霊降臨を経験していた人々は使徒たちの教えを聞き、信徒たちの交わりを行い、共にパンを裂き、即ち礼拝に参加し祈りと共に生活していたのです。
使徒言行録4:32~34節には初代キリスト者たちの姿が記されています。共に分かち合って人々を助けながら共に生きる生活の模範になっていました。
イエスの教えを知らない時には、自分のために生き、他の人の苦しみは私の責任ではなく私が出来る事は無いと思っていたのに、神様の愛に触れて神様の御子イエスキリストの贖いの愛に導かれて隣人を愛するようになり、礼拝と、讃美と、祈りと奉仕の四つの信仰の柱を守って行きます。
使徒言行録16:25~26節には「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。 26突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。」と書かれています。神様の福音伝道をしたのに捕まり、鞭でうたれ、牢に投げ込まれたのに讃美と祈りをした事を囚人たちは聞いていたのです。祈りと讃美が出来ない環境にも関わらず聖霊の導きによって讃美する力、祈る力が与えられたのです。
聖霊を受け礼拝を守る力、聖書を開いて読む力、祈る力、奉仕する時に喜びを持って奉仕する力を持っていますかと問いかけられたら「はい、持っています」と答えますか。「持っています」と答える方は聖霊を力をうけているのです
使徒言行録2:38を読みます。「すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりひとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」
聖霊の導きなしには悔い改める事は出来ません。
使徒言行録全体はイエスをキリストとして信じる事、悔い改める事、イエスキリストを信じ悔い改める事で与えられる聖霊の導きによって新たにされてイエスキリストの様に生きる事でクリスチャンと言われると教えています。その群れが大きくなり信仰が世界に広がり日本の国にも福音の種が蒔かれました。そして今の私たちにも伝えられました。
聖霊に導かれ励まされて新たに聖霊の力によって神様に仕える教会となり、神の業を行う教会形成に励み、キリストの光と香りを放つ教会を求めていきませんか。
聖霊を受けた弟子たちに何が有りましたか。
使徒言行録2:22「イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。」とイエスキリストの福音を語り始めました。聖霊を受けた弟子たちと初代キリスト者たちは福音宣教を行いました。
教会を支え、福音宣教に全力を傾けて生きていました。
今も聖霊の力によって宣教師派遣が行なわれています。残念ながら日本基督教団から派遣した宣教師の人数は少ないのです。宣教師を支える事も少ないのです。聖霊の力を得て宣教に力を出すことが出来ればと願います。西那須野教会の宣教を含め、地域の教会と連携して共に宣教の業を担う教会に成れば欲しいと願います。教会には支援を求めての手紙が送られてきます。支援が必要とされる依頼も有ります。聖霊の助けに応じて支える教会の使命を続けて行きたいと思います。
聖霊降臨節を迎え聖霊を受けて力を得、神様に仕える教会作りに共に手を繋いで行きませんか。
御言葉を学び信じた初代キリスト者たちは信仰によってアンティオキアで初めてキリスト者と呼ばれたと使徒言行録11:26節に書かれています。
私たちはキリスト人クリスチャンとしてのアイデンティティを持っています。
でも初めてのキリスト者と呼ばれたのはイエスを信じる人々が私たちはクリスチャンですと言うからではありません。
イエスを信じていない教会の外の人々がイエスを信じる人々をキリスト者と名づけたのです。
彼らの目でイエスキリストを信じる人々はイエスキリストの様に生きている。イエスが愛したように愛し合っている人であり、どんな時にも許して普通の人ではなく、生まれ変わった人としてキリストの様に生活しているからキリスト者と名づけたのです。それが今のクリスチャンに成っています。
聖霊を受けるとキリスト者になります。
キリスト者とは何ですか。
イエスキリストの様に隣人を愛する事です。自分の利益を守るために戦う人ではなく、自分の利益の為ではなく人々を助け愛する人々こそキリスト者でありました。
初代キリスト者たちはイエスを信じる事で家から追い出され、自分の財産を奪われ、苦しみの生活をしていました。今もキリスト教を信じる自由が認められていない国には、信じる事で自分の財産が奪われ、家から追い出されて苦しみます。でも信仰によって自分の財産を奪った人を憎むではなく、祝福し平和で生きる事で感動して福音宣教が広がっているとの報告が今も有ります。
パウロの映画にもありましたが、迫害され苦しみの中で、若い人たちが怒って自分を迫害する人々と戦いました。目には目を、歯には歯をと私たちに戦う事を求めていました。しかしパウロは「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」とのイエスの教えを守り、武力の力を捨てて殉教の道を選び、イエスキリストの教えを守ったという姿を表した映画を見たことが有ります。
力で勝つことが真の勝利ではなく、十字架で死ぬ事で復活の勝利に導かれることがイエスキリストの教えであることをキリスト教の歴史は教えています。
もう一度私たちに与えられた聖霊の導きに従って、イエスキリストの様に見習って、イエスキリストの教えに従って真のキリスト者として歩みましょう。
そのためには何時も、イエスキリストは今私が直面している環境ならば如何なさったのかと問いかけながら、イエスキリストの様に行動する事が聖霊を受けて信じる信仰者の模範だと信じています。
「聖霊を受けなさい」と教えたイエス様の教えに従って、神様に心を開き信じて、聖霊に満たされて、聖霊と共に生きる信仰生活に素晴らしい実を結んで行きましょう。