2025年6月15日

『憐れみに思って』 聖書:ルカによる福音書7:11~17・幼稚園サンデー・父の日礼拝


シャローム、「シャローム」と主の平和が有りますようにと挨拶をしましょう。「シャローム!」

今日は西那須野幼稚園サンデーとして礼拝を守ります。

そして今日は父の日でもあります。お父さんたちに主の祝福が有り有りますようにと願います。

お父さんたちの働きを覚え、感謝を込めて大きな拍手で感謝の気持ちを表してください。

「父の日おめでとうございます。」

今日の聖書の個所を通してイエスキリストの御心に触れ、私たちも苦しんでいる人々を憐れみ、困っている人々に近づき、何らかの励ましを共にすることが出来ればと思っています。

今日の聖書の個所は皆さんがご存じのようにナインと言う町で行われた事が書かれています。

ナインと言う町はガリラヤ湖の南にある小さい町です。

11節でイエスはナインと言う町に行かれた時に葬儀の群れに出会いました。わざわざこの悲しみの中に居るやもめと死んだ若者に会うために足を運んだのです。

ここでイエスキリストが見せたイエスの心は悲しみに(しず)んでいるやもめを(あわれ)に思う姿でした。

今私たちに必要な品性は憐れみの心を持つ事だと思っています。

今の幼稚園で一番困っている事は幼稚園に努める人材が少ない事だと聞いています。

大学にも専門学校にも幼稚園の教師に成りたいと希望する学生が少なくなっていると聞いています。

日本の未来のために一番大事な事とは何だと思いますか。

子どもや幼稚園に使命を持って働く良い先生を養成出来る社会になる事です。

昔は幼稚園の先生に成りたいと希望する人が多くいました。でも今は幼稚園の先生は嫌な仕事の一つに成っていると言われています。

このような時代に幼稚園で働いている先生たちは素晴らしい存在だと私は思います。

西那須野幼稚園サンデーの主日として日本の幼稚園の先生のために、幼稚園先生を養成する学校の先生たちのためにお祈りをお願いいたします。

西那須野幼稚園の先生たちがイエスキリストに見習って憐れみを持って務める使命感に立ち、キリスト教精神を身に着けて生きる事を祈り願います。

先ず私たちがイエスキリストの様にキリスト教精神に基づき信仰に立ち困っている人に憐れみの心を持って憐れみのスピリットを学んで行かなければいけないと思っています。

イエスキリストは憐れみを必要とされる所に足を運んでいました。今日の聖書の個所の前には、ガリラヤの北部のカファルナウムに居られたイエスが、ガリラヤ湖の南まで歩き葬儀の群れに出会う道まで移動したのです。

憐れみを必要とされる所に旅行したのです。

やもめとして自分の命のように育てていた息子が死に葬られる時の辛い心は自分の全ての力を失ったような事でしょう。イエスはこの人に憐れみを与えるためにナインと言う町まで足を運びこの葬儀の群れを出会ったのです。

勿論私たちの周りにも憐れみを必要とされる方が大勢居られます。

調べて見たら2024年現在、世界中で59個所に紛争が起きているとありました。都市化と経済発展が理由で人間関係が崩れて隣人の苦しみに目をつぶって居る時代に成ってしまいました。

相手は苦しみ悩みに困っていますが、自分自身が幸せならばそれでいいと思っている時代です。

今日は西那須野幼稚園サンデーとして祈りの課題を普段祈っている祈りの課題に入れて下さればと思っています。

西那須野幼稚園がキリスト教教育をする幼稚園として、神様に喜ばれる幼稚園に成りますようにとお祈りください。西那須野幼稚園がキリスト教精神に基づく幼稚園・保育園として神を愛する、隣人を愛する、皆が共に生きる生き型を学びつつ行きますようにとお祈りください。

幼稚園の園児たちが礼拝を通してイエスキリストの愛を学び、神を愛する、隣人を愛する、自然を愛する愛の元で成長しますようにとお祈りください。

幼稚園の先生たちが自ら喜びを持って園児たちを育てることが出来る志を確かめて、体も心も聖書の御言葉に励まされて生きますようにとお祈りください。

西那須野幼稚園は色んな国の子どもを受け入れています。皮膚の色が違っても、使う言葉が違っても、互いに愛するキリストの精神を身に着けて、将来素晴らしい花を咲かすことが出来ますようにとお祈りください。

そのことのために幼稚園園児のために礼拝奉仕をしておられる、松本先生、久留先生と私の為にもお祈りをお願いいたします。


聖書の言葉に戻りますがイエスキリストが思っている「憐れみ」とは何ですか。

憐れみとは人に対して、本人が受けるに(あたい)しないと思っていても、思いやり深い行いをすることです。 憐れみは、イエス・キリストの贖いによって可能になります。 天の御父(おんちち)はわたしたちの弱さと罪を御存じです。 御父はその憐れみによって、わたしたちの罪を赦し、わたしたちが御父のもとに戻って住むことができるように助けてくださいます。

憐れみは神様のアガペーの愛です。イエスの憐れみや思いとは、やもめの女の悲しみと同じ心を持っている愛を意味します。憐れみを持って生きるとは相手の立場で相手を理解し、相手を贖う愛で接する事です。弱い私たちには出来ない大きな愛です。

私たちがイエスキリストの憐れみ深い姿を見上げて、その素晴らしい憐れみの光を照らす人として歩み続けましょう。夜の星と月自体は光を照らす事が出来ません。でも太陽の光が有るお陰で月は太陽の光を放つ事に成っています。私たちは素晴らしい光を照らす事が出来ないのですが、イエスキリストから与えられた光を浴びてそのキリストの光を放つ事が出来るようにイエスキリストと私たちの間に有る壁をなくして十分にキリストの光を見せることが出来るように何時もイエスキリストの憐れみの光を見て生きましょう。西那須野幼稚園がイエスキリストの憐れみに満たされていきますようにと願います。

イエスキリストは彼女のために恵みを与え、死んでいた息子が起き上がる事になりました。

ただ心に憐れみを持つだけではなく、実際に行動しなければ憐れみの意味はないと思います。

神様から贖いの憐れみを受け救われた私たちは、イエスに見習って心に憐れみを思う事と、出来れば出来る限り何かの行動を実行出来る信仰に生きる事が大事だと思っています。

父の日として私たちの父なる神様の愛に生かされて、教会のお父さんたちも神様の愛を少しでも表す者として生きる事を確かめながら、与えられた父の責任を果たしていきましょう。