説教題:敵を愛しなさい 聖書:マタイによる福音書5:43~44
主に平和が有りますように。
今年は世界第二次世界大戦後80年に成ります。
80歳以上の方々は世界第二次世界大戦の苦しみに影響を受けていた方々です。
時代が変わって戦争の辛さを覚えていない人々が多くなり、今や日本は平和の国に成って幸せに生きているので、それで良いと思うだけで終わっても良いのでしょうか。
日本では戦後80周年の記念として多くの活動が企画されると思いますが、キリスト者として8月を如何過ごして行けば良いのかについて聖書の御言葉に心を向けていきたいと思います。
私たちは8月を平和月間として守っています。
平和とは何ですか。世界の平和、国と国との平和、即ち日本の隣国間の平和、全ての国の中の国民の平和、地域の平和、西那須野教会の平和、各家庭の平和、夫婦の間の平和、親と子供の平和、兄弟姉妹の間の平和、自分の内面の平和、即ち恐れることなく、悩む事無く、心の平安を持って過ごす個人的な平和等多くの平和が存在しています。
私たちに出来ない事より出来る事とは何ですか。
個人的な私たちの内面にある平和作りとは何でしょうか。
敵を愛しなさいとは何ですか。
今の人々には色んな苦しみ悩みが有ります。自分には「何も苦しみも無く何時も幸せです。」と答えながらも、実は色んな悩みと苦しみが有ります。聖書の御言葉に従って何時も喜んでいなさいとの言葉に従って幸せに生きようとしているのではありませんか。
敵とは自分に害を与えた方でしょうか。自分の事を激しく批判した方ですか。自分の物を奪った方かも知らないのです。自分のプライドを傷つけた方かも知れません。
辞書には「敵(てき、かたき)は、自分に危害を加えようとしている相手、自分の利益の達成を阻害している相手、戦場における交戦相手、ゲームや競技における競争相手(ライバル)を指す。自分の好みや考えと著しく対立している人物や組織を指すこともある。」と書かれていました。
実はこのような敵を愛することは難しいはずですが主イエスは敵を愛しなさいと教えたのです。
1. 敵を愛する事は愛です。
本来の心には絶対愛する事は出来ないのです。ここで敵を愛するとは何ですか。
敵を敵として思わないで自分の隣人として思う事です。自分の力と自分が出来る事を用いてその相手を潰すのではなく、助け合おうとする事こそ敵を愛することなのです。
実際にはその相手とは会いたくないと思います。今日会わなくて良かったと感じるかも知れません。
その意味で何らかの形で敵は私たちの周りには居ます。
敵を愛しなさいとのイエスの教え通りにイエスキリストは全うしていたのです。
十字架の出来事の前にイエスキリストを裏ぎったイスカリオテのユダが、自分が接吻する方がイエスですのでその方を捕まって下さいと話しイエスに近づき先生と挨拶しながら接吻しました。これをマタイによる福音書26:48~50「イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。 49ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。 50イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。」とあります。
イエスキリストは自分を裏切るユダが「先生、こんばんは」と言って接吻する時に、ユダの全ての事を知って居られながらも彼の接吻を受け入れたのです。
イエスキリストはユダの事を知りながらも、裏ぎられた苦しみより、ユダを愛する愛がもっと大きかったのでユダに対してイエスキリストの憐れみを示したのです。
2.敵を愛する事は赦しです。
マタイによる福音書18:21~35には仲間を赦さない家来のたとえが記されています。
ある家来は一万タラントン借金していました。
主人はこの家来の事で一万タラントンのお金の損が有りました。
お金持ちに対して一万タラントンの損失は軽いと思うかも知れませんが、この世の金持ちたちはお金に対して厳しい態度を持っています。
イエスキリストの仲間を赦さない家来の教えに借金の喩として教えてくださいました。
「赦し」をするとは自分に損が有るのが当たり前な事でしょう。
敵を愛するのに自分に損失が有る事を気にするならば絶対愛することが出来ないでしょう。
敵を愛するとは、神様に神の子供として受け入れられる資格もない私が神様の愛を受けて、神様の子供として受け入れられたから、私たちも相手を、即ち敵をも受け入れるように赦しあうことであり、主イエスの教えに従って生きる事になるのです。
私たちはもし私が一万タラントンの借金を無しにして頂いたから、人のわずかな借金は赦せると思うかも知れませんが実はそれが難しい事です。
私たち一人一人は神様の前に1万タラントンの全借金を神様から憐れみを受けて赦してもらいましたが、普段小さい事で相手を赦さないでいる事はありませんか。
8月は平和の月間として守っています。
大きな平和を望むのではなく仲間同士で赦しあい、話って仲間との平和、隣人との平和、同じ職場における平和を守るために、まず自ら敵を愛する真の平和に少しでも携わって生きる信仰を求めて生きませんか。
敵を愛する事とは何ですか。
3.敵を愛する事は敵を助ける事です。
ルカによる福音書10:25~37には善きサマリア人の教えが書かれています。
普段ユダヤ人はサマリア人を無視して異邦人のようにユダヤ人の仲間に入れないで無視する人々でした。
サマリア人たちは何時もユダヤ人から無視されていたので敵のような立場でした。
イエスは有るユダヤ人が追いはぎに襲われ全ての物を失い半殺しに成り、助けを求めていた時に、その道を通ったサマリア人はこのユダヤ人を助けたのです。敵の様なユダヤ人を助ける事が敵を愛する事だと聖書は教えています。
たとえスポーツの試合の時に自分が好きなチームが勝つと嬉しくなり、相手の選手が勝つと相手のチームを憎みます。
戦争が起きた時、敵の兵士がけがして苦しんでいた時にも助けの手を差し伸べる事がナイチンゲールの精神であると言われています。
敵さえ助けを求める人に憐みを与える事こそが敵を愛するイエスの教えてはありませんか。
8月の平和の月間を迎えて敵をも愛する信仰をもう一度確かめて信仰に立って行きましょう。