2025年8月10日西那須野教会礼拝説教文 説教者:潘 炯旭牧師
説教題:『和解を求めて生きる』 聖書:サムエル記上24:1~7
お早うございます。主の平和が有りますようにと隣人と挨拶しましょう。「主の平和が有りますように」
今週金曜日は終戦の日8月15日です。昨日は長崎に原子爆弾が投下されて大きな被害が有った日でもあります。
如何言われても戦争は良い事は一つもない愚かな事です。でも今もウクライナとロシアとの間の戦争を含め世界には59個所で紛争或いは戦争が続いています。
今日は聖書の中でサウル王とダビデの間に起きた和解を通して神様が望んでおられる真の平和、和解とは何かについて学びたいと思います。
サウル王はイスラエルの最初の王として選ばれた方でした。ダビデはサウル王の息子ヨナタンと友だち関係です。サウルが王に成った時に、ペリシテ人との争いで有名な巨人ゴリアテ将軍が現れ危険が迫りました。その時、少年ダビデは信仰によってペリシテ人将軍ゴリアテに勝ち一番有名な人に成りました。その事を快く思わなかったサウル王は逆にダビデを殺そうとしていたのです。その話がサムエル記上19章から始まります。ダビデは戦争の厳しい危険から勝利への道へと導いたのにもかかわらず、サウル王から逃げて隠れて生きなければなりませんでした。
サウル王はダビデを敵のように思い兵士たちを送って殺そうとしていましたから、ダビデは本当に苦しみの日々を過ごしていたのです。
サムエル記上23:25~28を読みます。『25サウルとその兵はダビデをねらって出て来たが、ダビデはその知らせを受けると、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこにとどまった。サウルはそのことを聞き込み、マオンの荒れ野にダビデを追跡した。 26サウルは山の片側を行き、ダビデとその兵は山の反対側に行った。ダビデはサウルを引き離そうと急いだが、サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来た。 27そのとき、使者がサウルのもとに来て、「急いでお帰りください。ペリシテ人が国に侵入しました」と言った。 28サウルはダビデを追うことをやめて、ペリシテ人の方に向かった。そのため、この場所は「分かれの岩」と呼ばれている。』
サウル王がペリシテ人を追い払って帰還した時に「ダビデはエン・ゲディの荒れ野にいる」と伝える者があったと2節に書かれています。皆はサウル王を恐れてダビデがいる場所を報告しなければならない状況でしたのでダビデは四面楚歌のようでした。
3節の「山羊の岩」と言われる所とは、死海の近くにある所で、山羊たちが隠れて過ごすように急傾斜地の所には洞窟が多く有ったと言われています。羊飼いは羊を見守る時に洞窟を利用したそうです。その時サウル王は用を足すために入った洞窟の奥にはダビデとその兵たちが座っていたと4節に書かれています。
この出来事を見たダビデとその兵士たちの間で意見が分かれます。
兵士たちは、これは神様が与えて下さったチャンスなのでサウル王を殺して問題を解決しようと思いました。でもダビデは神様が与えて下さったチャンスとは思わなかったのです。
今私たちが目を置く所は何処ですか。
このチャンスは神様が与えて下さった素晴らしいチャンスなのか、神様がダビデをテストする時なのかの問いではないかと思うのです。
ダビデと共に居た兵士たちは、この時は神様が与えて下さった素晴らしい恵みの時なのでサウル王を殺しましょうと強く言うのです。ですがダビデは神様が油注いで王と任命されたサウルを殺す事は出来ないと思い、自分の手ではなく神様が為さる事と信じ自分の手を出さなかったのです。
ダビデと共に居た兵士たちもダビデの意見を尊重して従いました。
もしダビデを尊重していないのなら、せっかく神様が与えてくださったチャンスに手を出すなと言ったから、今も私たちは困っていますと、言い続けたかも知れないのですが、ダビデの兵士たちはその後この事に対して何も反対の意見を口に出すことはありませんでした。
今日の説教題は「和解を求めて生きる」です。
ダビデはサウル王に和解を求めていました。今日の聖書の個所の後を続けて読んでみます。 8~13節です。「8ダビデはこう言って兵を説得し、サウルを襲うことを許さなかった。サウルは洞窟を出て先に進んだ。 9ダビデも続いて洞窟を出ると、サウルの背後から声をかけた。「わが主君、王よ。」サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、礼をして、 10サウルに言った。「ダビデがあなたに危害を加えようとしている、などといううわさになぜ耳を貸されるのですか。 11今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。そのとき、あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『わたしの主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。 12わが父よ、よく御覧ください。あなたの上着の端がわたしの手にあります。わたしは上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした。御覧ください。わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした。それにもかかわらず、あなたはわたしの命を奪おうと追い回されるのです。 13主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しはしません。」 ここでダビデは和解を求めています。ダビデは言いました。サウル王、あなたは神様から油注がれた方ですので絶対あなたに手をかける事はしない事を分かって欲しいと訴えています。
でもサウル王は26章にもダビデを殺すために兵士を連れて追いかけました。結局ダビデはペリシテ人の所に住まいを求めサウル王が死ぬまでユダから離れて避難生活をしていました。
ダビデが選んだ平和は、自分にとっては大変な苦しみと避難生活をしなければならない道でしたが、その道を選び平和を守っていました。
今日ダビデの行動から学ぶ平和への道とは何ですか。
自分の力で実現できる平和への道ではなく神様の道を選び従う平和です。
ダビデの兵士たちは自分の力と方法を用いて問題を解決する方法を選びましたが、ダビデは神様に委ねて今は和解を求める方法を選んだのです。
人々は遠回りする道より、一番近い道を選びます。車の運転をする時にも近道を選びます。
でもダビデは遠回りの道を選びました。今は戦う時ではなく、和解を求めてダビデ自身には危険な道、苦しみの道を選び、神の業を求めました。
私は韓国人として出来れば早く結果を見たいと急ぐ者ですが、今日の聖書の御言葉から神様が望んでおられる道は、何かもっと深く考える事を学ばなければいけない道だと思いました。
ダビデは戦いの時にも自分の力で戦う道を選んだのではなく、神様の道を望み和解の道を選んだのです。今私たちに神様が望んでおられる神様の業は何なのかを問いかけながら、私たちの行く道を確かめながら8月の平和月間を過ごしていきましょう。