■日 時:2025年8月17日(日)
■場 所:西那須野教会
■説教題:「善いサマリア人の譬え」
■聖 書:新約 ルカによる福音書10:25—37(新約p126)
■讃美歌:・説教前:85「主の真理(まことは)」・338「主よ、終わりまで」
お早うございます。
今、ご紹介いただいた飯島 信です。
今日は、午前の礼拝と、午後の夏期学校でのお話しと、2回、皆様にお会いする機会が与えられています。そのため、午前の礼拝では聖書の御言葉に耳を傾け、午後は、私がなぜ原発被災地の牧師になったのかを、映像を交えながらお話ししたいと思います。
先週の8月15日は、アジア太平洋戦争における日本の敗戦記念日でした。アジアにおいて日本は残虐の限りをつくしましたが、アジアの人々への謝罪は未だなお終わる事がありません。そのことに対する謝罪と和解の使命を負っているのがこの教会と深い関わりを持つアジア学院であり、その働きが日本の戦後史及び戦後社会にとってどれほど大切であるかを改めて思うのです。
敗戦の日から80年の歳月が経ちました。80年、長い歳月です。しかし、これまでの私の70年を超える人生で、今ほど戦争を身近に感じている時はありません。今こうしている時でも、パレスチナのガザにおいて、ウクライナにおいて、兵士だけでなく市民たちも又死と隣り合わせの時を過ごしています。
80年前、広島に原爆が落とされ、14万の市民が一瞬の内に傷つき倒れたその時のことを詠った峠三吉(とうげ さんきち)の「仮繃帯所(かりほうたいじょ)にて」と言う詩があります。その詩と、同じく峠三吉の「八月六日」と言う詩を、初めに絶対非戦と平和への想いを込めて紹介します。
「仮繃帯所にて」
峠 三吉
何故こんな目に遭わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために・・・
「八月六日」
峠 三吉
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗やみの底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布をまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列・・・
あと一つ、私の心に残り続けている詩を紹介します。栗原貞子(くりはらさだこ)が書いた「生ましめんかな」と言う詩です。
「生ましめんかな」
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ。
その中から不思議な声が聞こえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
それでは、今日与えられた聖書の御言葉に耳を傾けてみましょう。良く知られている「善いサマリア人の譬え」の話しです。この話しを、登場人物の置かれている状況を見つめながら、学びを深めて行きたいと思います。まず25節です。
25:すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るでしょうか。」
恐らく、イエス様の話しを聞こうとして、人々が集まって来ている中での出来事であったと思われます。一人の律法に詳しい専門家がイエス様を試そうとして問いを投げかけました。その問いは、当時のユダヤ社会において、律法学者たちの間で行われていた議論でもあった、数ある戒めの中でもどの戒めが最も重要であるかを問う問いでした。それは又、「永遠の命を受け継ぐ」、即ち神の国に入ることが出来ると言う、人々にとって最大の関心事とも深く関わる問いでもありました。どの戒めを守れば神の国に入ることが出来るのか、それこそが人々が知りたいことであったのです。
イエス様はその問いに対し答えられました。26、27節です。
26:イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
27:彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
これは、旧約聖書の申命記6章5節(p291)にある神様から命じられた教えで、ユダヤ人たちは日々「シェマの祈り」としてこの箇所を唱えていました。彼はこの祈りであると答えたのです。するとイエス様は、28節です。
28:イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
ところが、話しはこれで終わりませんでした。律法学者がイエス様の答えに満足しなかったからです。彼はさらに、愛すべき隣人とは誰かをイエス様に問うのです。29節です。
29:しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
「隣人とは誰か」。
この問いは深く、重たいものでした。
ユダヤ人にとって通常考えられる隣人とは、同じ信仰を持ち、神の前に義しいと思われる生活をしている仲間たちです。彼らにとって、ユダヤ人ではない異邦人も、あるいは、たとえユダヤ人であっても、異邦人のように「汚れた」生き方をする者たちは隣人の範疇には入っていませんでした。この律法学者は、イエス様に対し、まず隣人とはどのような者であるのかの定義付けを求めたのです。しかし、イエス様はそれには答えませんでした。そして、彼に対しある譬え話を話し始められました。30節です。
30:イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
この譬え話の舞台は、エルサレムからエリコへ下って行く街道です。
エルサレムは標高760mの高地にあり、エリコはそれとは反対に海抜マイナス250mほどの低地の町でした。つまり、この街道は、標高差がおよそ1,000mにも及ぶ30kmほどの急な下り道です。この道は、ある注解書(ウイリアム・バークレー)によれば、岩がごつごつと飛び出ている狭い道で、曲がり道も少なくなく、盗賊たちにとって旅人を襲う格好の場所でもありました。そして、この道で旅人が襲われ、半死半生のまま放り出されていたのです。
31節です。
31:ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
初めに祭司が登場します。祭司とはエルサレム神殿に仕える者です。この祭司は、神殿での仕事を終えて、恐らくエリコにある自分の家に帰る途中であったのだと思われます。
彼は、傷ついた旅人を見ます。しかし、「その人を見ると、道の向こう側を通って行った」のです。
祭司とは、神殿における職業が明らかにしているように、神に仕える者、つまり律法を真っ先に厳守すべき職業に就いている者でした。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すべき者であったはずです。しかし、そうはしませんでした。彼は、傷ついた旅人を見ながら、見て見ぬふりをし、あえて旅人を避けました。たとえ介抱したとして、この旅人が死んでしまったなら、それに触れた者は7日の間汚れるという律法の規定(民数記19:11、p246)により、宮仕えの仕事を失うことを恐れたのかも知れません。いずれにしても、この祭司は、旅人の苦しみより、自分を守ることの方が重要であったのです。
続く32節です。
32:同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
レビ人。彼も又、神殿の下働きをする者でした。そして、祭司と同じように道の向こう側を通って行ったのです。
こうして、神の宮に奉仕して、神に仕える事を生業としていた祭司もレビ人も、自分の生活を守る、ただそれだけが関心事であり、瀕死の旅人を捨て去りました。
そうした中にあって、3人目の人物が通りかかります。それは、日頃ユダヤ人からは忌み嫌われ、蔑まれ、交際まで断たれていたサマリア人でした。33節、34節です。
33:ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
34:近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱をした。
油とぶどう酒。これは、傷の手当てに用いるものでした。
倒れていたのはユダヤ人です。
しかも、通りかかったサマリア人から見れば、ユダヤ人は、日頃自分たちを蔑み、穢れている者として差別し、交際すら禁じている敵対関係にある者でした。
しかしこのサマリア人は、倒れていた彼に近寄り、手当てをし、自分のろばに乗せ、宿屋にまで連れて行ったのです。
何故なのか、敵である者を何故それほどまでに手厚く看護出来るのか、この時のサマリア人の心の動きを考えずにはいられません。
この時、サマリア人にとって、今自分の目の前に瀕死の傷を負って横たわっている者は、ユダヤ対サマリアと言う民族の確執を越え、ただ助けを必要としている命ある存在としてのみ彼の心を捕らえたのではないか、私はそう思うのです。
そして、その存在に対するサマリア人の関わりは想像を超えるものでした。35節です。
35:そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
1デナリオンと言うのは、労働者1日分の賃金です。それを2日分主人に渡し、介抱を依頼します。それも、徹底し、回復するまでを依頼するのです、費用は全て自分が負担することを申し出てです。
考えられるでしょうか?
もし、この傷ついた者が自分の肉親であってもです。
瀕死の状態から回復に至るまでその全費用を持つ。
世帯が別であればなおさらのこと、これがどれほど容易なことではないか。
まして、このサマリア人にとって、今傷を負って横たわっているこの者は、単に見知らぬ他人ではありません。日頃、自分たちを忌み嫌い、差別している者なのです。
再びある問いが浮かびます。
なぜ、このサマリア人は、ユダヤ人との恩讐を克服出来たのでしょうか?
この時、思い出したことがあります。
神様は、私たちをどのように造られたのかと言うことです。
瀕死の人を前にした時、真実に助けを必要とする命に出会った時、私たちはどのように行動するかです。そして思い出したのは、かつての教員時代のことでした。
私は、牧師になる前、中学校の知的障がいのクラスの教員として勤めていたことがあります。特別支援学級と呼ばれているクラスです。その学級では、同じ区内の他の特別支援学級と合同で、年に一度、那須塩原にある区の施設で共に過ごす移動教室と呼ばれる行事を行っていました。ある年のことでした。2泊3日の中日、私たちは登山を行いました。前日に雨が降り、道はぬかるみも多く、時に切り立った崖と谷の間の細い道を通らなければなりませんでした。
私は、自分の学校の生徒たちが歩く列の先頭に立って進んでいました。細い道に差しかかりました。先を行く他の学校の生徒たちの様子が見え、水溜まりを避けながら、彼らもまた用心深く歩いているのが分かりました。ところがです。生徒たちに声をかけながらふと目を上げると、前を行く他の学校の生徒の中の一人の女子が、足を滑らせて谷を転がり落ちて行くのが見えました。
その瞬間です。気が付くと、私はしょっていたリュックを投げ捨て、谷を駆け下りてその生徒の方に向かっていました。今でもその時に頭によぎった思いを覚えています。身体が斜め半身になりながら、駆け下りる自分の足を意識し、「行けるかな、行けそうだ」との思いです。彼女は転がり落ちながら、木にぶつかって止まりました。幸いに、背負っていたリュックがクッションとなって、身体が直接木に打ち付けられるのを防ぎました。もし、頭が木にぶつかっていたなら、大きな事故になっていたと思います。ただ、私は彼女に近づく直前に一回転し、お尻を石にぶつけ、尾骨を骨折してしまいました。それからしばらくの間、座ることも自転車に乗ることも出来ませんでした。
その経験から考えるのです。
足を滑らせて落ちて行く生徒を見た時、自分の身体は瞬時に動いたことをです。
彼女は私の学校の生徒でも無ければ、顔見知りの生徒でもありません。なぜ身体が勝手に動いたのか。それは、真実にその生徒が助けを必要としていたことを判断したからです。
神様から命を与えられた私たちは、そのように造られていると思うのです。
善きサマリア人の譬えは、私たちは本来そのような存在であること、そのように神様から造られている存在であることを、イエス様は律法学者に教えたのだと思います。
律法学者の問いは、隣人とは誰のことかと言う問いでした。
それに対し、イエス様は、隣人とは誰かを問うのではなく、今、まさにあなたを必要としている、その人の隣人になることを教えました。最後の36、37節です。
36:さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
37:律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
祈りましょう。
※ソロモン王の死後のBC931年、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂。北イスラエル王国の首都はサマリア。BC722アッシリア帝国によって滅ぼされ、サマリアはアッシリアの属州となる。これ以降、サマリアに異民族が連れて来られ、宗教的混淆が始まる。モーセ5書だけを経典とするサマリア教団が誕生。ゲリジム山に神殿。