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説 教 題: 『カナンの女の信仰』

マタイによる福音書15:21~28

 

お早うございます。主の平和が皆様と共に有りますように。

先週は敬老の日でした。共に愛餐を味わい、先輩たちから一言を頂き、素晴らしい恵みの時を与えられました。素晴らしい励ましの言葉や先輩たちから学んだ事をどのように生かすのかを深く考えるチャンスの場でも有りました。感謝します。西那須野教会は本当に素晴らしい先輩たちと共に生き事が出来る恵みある教会であることを感じる時にもなりました。

お話しして下さった皆さんに感謝します。

今日はイエスキリストが「ティルスとシドンの地方に行かれ」カナンの女の信仰について教えられた言葉から信仰について学びたいと思います。

聖書を開いて見ますと、イエスキリストは色んな所に行って人々と出会い、神様の御業を行った事が有る事に驚きます。

その一つはイエス・キリストがティルスとシドンの地方に行かれた事です。

イエスキリストがティルスとシドンの地方に行き、そこでカナンの女と出会ったのは偶然ではなく神様の計画で有ると私は受け入れます。

神様の存在を知らない人は全ての事を偶然な事として思いますが、神様の導きを信じる人には神様の計画又は導きが有ったと思い証ししています

神様の導きと神様の計画を信じている方には誰かとの出会いを大事にして覚えて生きます。その出会いを与えて下さった神様に感謝しています。

イエスキリストがその時「ティルスとシドンの地方」に行かれた目的はカナンの女に出会うためでした。ユダの地方ではなく、イスラエルの人ではなく、異邦人であるカナンの女を用いてユダヤ人の「あなたたち、アブラハムの子孫としてプライドを持っているあなたがたの信仰は何ですか」と問いかけているのです。

サムエル記上16章には主の霊がサウルから離れ悪霊がサウルにさいなむようになったと書かれています。そして竪琴を上手に奏でるダビデが賛美すると悪霊がサウルから離れ癒されたと書かれています。

この世には悪霊と共に居る人と神の霊と共に居る人が居ます。イエスキリストはわざわざティルス地方に行って信仰の女の事を明かにしている所が今日の聖書個所です。

私たち一人一人が信仰の人に成り、神の霊と共に居る(いる)人に成って、神様に守られ、命の御言葉に導かれて命の道に留まる人に成ればと願います。

 

二つ目は女の願いに対するイエスキリストの答えです。

22節に「カナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」という彼女の願いの答えがとても酷く、イエスキリストの答えとは思えない冷たい24節の言葉を如何受け入れたのかという事です。なぜ酷い言葉で返したのかが難しいです。

マタイによる福音書16:16「シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。  18~19節には「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」と素晴らしい恵みの言葉を下さいましたが、なぜこのカナンの女には24節に「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えたのでしょうか。さらに26節には、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と答えたのです。

全般的なイエスの教えには愛が有って、許しが有って、慰めの言葉が有りました。敵さえ愛しなさいという普段の教えには正反対の態度でした。

ルカによる福音書4:25~27「イスラエルには多くのやもめがいたが、 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」とあります。異邦人であるサレプタのやもめとシリア人ナアマンが神様からの恵みを受けたとの教えに怒り29節に「イエスを町の外へ追い出した」と書かれています。

マルコによる福音書10:46~52には盲人バルティマイが47節に叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めましたがイエスは何の反応もしませんでした。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたがイエスは無視したように書かれています。しかし盲人バルティマイはさらに大きく叫び続けたと書かれています。このところにもイエスキリストが盲人バルティマイを無視したのではなく彼らの信仰を皆に見せるために黙っていたと思われます。

今日の聖書の個所にカナンの女を軽蔑するような場面がありますが、同じく異邦人であるから無視したのではなく、当時のユダヤ人たちが異邦人に対して、している姿を見せる事でイスラエルの人々にあなたの信仰は何ですかと逆に問いかけているように見えます。

皆さんが祈っても叶えられない時に諦めるのではなく、今こそ私は主イエスキリストを信じますと強く志を守る時ではないかと思います。カナンの女に見習って信じて生きませんか。

三つ目は、カナンの女はイエスのみを救い主であると信じたからです。

カナンの女が絶対的にイエスのみを信じていないのであれば、イエスの言葉を聞いて直ぐにイエスから離れます。イエスを偽善者として批判しはじめます。神様にも、仏さまにも、八百万の神の中の一つとしてイエスを思うのではなく、イエスこそ唯一無二の神として信じたから、酷い言葉を投げかけられても、もう一歩イエスの前に歩み出て、あなたは私の救い主ですと告白しています。

イエスキリストはこの女がこのような素晴らしい信仰を持っていた事を知っておられたから、カナンの女の素晴らしい信仰を多くの人々に見せるために、わざわざ酷い言葉さえ口にしたと私はこの聖書の所を読んで思いました。

最後ですが28節を読みます。「そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。」 アーメン。

私たちの願いは、いつかこのイエスの言葉を聞きたいと願っています。

私たちの信仰によって日々新たにされ、強められ、命の道に導かれ何時も感謝の讃美をほめたたえる事が出来ればと願います。

説教の締め()として讃美します。

1,わたしが悩む時も 日々 力を与え

あふれる恵みを 主は 満たしてくださると

 信じて わたしは 今 すべてを主に委ね

喜びに満たされて この日も過ごします

 

1. Day by day, God’s gracious love surrounds me As a balm to soothe my troubled heart.

Countless cares and worries that confound me Fade away or quietly depart,

For His heart is kind beyond all measure, And He comforts us as He knows best. Every day,

with all its pain and pleasure, Mingles tears with peace and rest.