説教題:私の後から来られる方
聖書:ヨハネによる福音書1:19~28
ハレルヤ!主の御名を崇めます。
今日からアドベントに入ります。アドベントはイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことです。
日本語では待降節、降臨節、または待誕節とよびます。主に待降節又はアドベントと言われています。教会歴では待降節、アドベントから一年が始まります。
クリスマスまで御子イエスがこの地にお生まれに成った事を覚えて、御子イエスキリストの誕生を待ち望んでいた旧約時代のユダヤ人のように、神様の救いや憐れみを待ち望み、救い主としてお生まれに成ったイエスキリストの生誕を待ち望むことを呼びかける事で定められた教会歴です。残念ながらユダヤ人はメシアを待ち望みましたが、御子イエスキリストの誕生を認めず、今までも主メシアを待っています。
今私たちがクリスマスを待っている待降節の意味は、救い主としてお生まれに成った御子イエスに出会った人々が持っていた信仰に励まされ、救い主として来られたイエスキリストを確かめながら、私たちのために御子イエスキリストを送って下さった神様に感謝することです。神様の御心に従って天の栄と栄光を捨てて一番弱い子供としてマリアの体を借りて馬小屋でお生まれに成ったイエスキリストのご誕生によって、私たちが恵まれたことを確かめながらクリスマスを待っている事がアドベントの恵みです。
今日の説教題は27節の御言葉「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」から選びました。
多くの人々は洗礼者ヨハネにあなたはメシアですかと聞いた時に、私ではなく私の後からその方が来られますと宣言しています。
このヨハネが紹介したヨハネの後から来る方とは誰ですか。
ベツレヘムと言う小さい町の馬小屋にお生まれに成ったイエスの誕生を待っているアドベントの時になぜ私たちはイエスキリストの誕生を待ち望むのか考えてみましょう。
勿論毎年待降節イエスの誕生の日を待っています。
ただクリスマスの日を迎えて待つのではなく、皆さんと何の関係が有って喜びと共に待っているのかの理由を知らずにクリスマスの時を待つのではなく、感謝と喜びに溢れるクリスマスとして確かめる必要が有ります。
勿論教会の行事を準備する奉仕者の立場では忙しく大変な事かも知れませんが、喜びと感謝と共に準備することが出来れば恵みに導かれるでしょう。
皆さんと関係が無い方の誕生日なら何の喜びも意味も無いのですが、緊密に関係が有る方の誕生日ならば期待します。共に喜びます。何かのプレゼントをしながらお祝いします。
御子イエスの誕生と皆さんとの関係は何ですか。
1.私たちの救い主としてお生まれに成ってからです。(マタイ1:21)
マタイによる福音書1:21を読みます。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
イエスキリストは罪から救うために救い主としてお生まれに成ったと主の天使が教えてくださいました。
今火曜日に聖書のヨブ記を読んでいます。ヨブの友たちはヨブの苦しみを見ながら何かの良い言葉を掛けようとしていますがヨブには役に立たない言葉ばかりでした。ヨブ記を読みながら感じる事は人間の弱さ、良く知らないのに何かを知っていると思って相手を批判する愚かさです。単純にヨブに救い主が必要だと思いますが、ヨブだけではなくヨブの友だちにも救い主が必要であることを感じました。
その面で私たちを含む全ての人々に必要とされる救い主として来られるイエスの誕生の喜びを待ちながら、私たちが出会う人々が救い主を自分の救い主として信じ受け入れて喜びに溢れるクリスマスに成りますようにと祈りながらクリスマスを待ちましょう。
2.もう一度この人イエスを見ようと確かめながら待ちましょう。
クリスマスの賛美歌の中に日本人が作った讃美歌1の121番の賛美歌には「この人を見よ」との言葉が5回書かれています。
「この人を見よ」のこの言葉はヨハネによる福音書19:5「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。」のピラトの言葉から作った讃美です。4番の「この人を見よ。この人こそ、人となりたる活ける神なれ」とあるように、人となられた神イエス・キリストのご生涯を見つめることを通して、父なる神の愛と慈しみを知るよう私たちにこの人を見てくださいと。呼びかけています。
待降節の時にこの人を良く見て神様の素晴らしい愛に満たされますようにとお勧めいたします。
3.まぶねの中にお生まれに成った主イエスは私たちの命の光です。何が有っても命の光なる主イエスを待ち望みましょう。
ヨハネによる福音書1:9~12を読みます。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」
イエスキリストは命の光として来られたのです。誰でも命なる光なるイエスに出会って生まれ変わるのです。
絶望の中で希望の道に導かれます。
暗闇の中から解放されて光り輝く人生に導かれます。
クリスマスのシンボルは光です。その光は命の光です。生きる力を与える光です。
今も町中にクリスマスのイルミネーションが広がっています。
クリスマスのイルミネーションは喜びを見せるかも知れませんが、イエスキリストから来る光は命の光です。
星野富弘アート展に展示している作品を見ますと希望の光、恵みの光、命の光、赦しの光、平安の光が見えてきます。若い時に失った健康の暗闇から生きる力を失った時に与えられたイエスキリストの命の光に出会って、生まれ変わり、多くの人々に素晴らしい光が輝く作品を通してイエスキリストは命の光ですと証ししている事に気づかれることが出来ればと願っています。