2025年12月7日 西那須野教会説教文 宣教者:潘 炯旭牧師
説教題:『まことの光なる主』 聖書:ヨハネによる福音書1:9~14
お早うございます。
主の平和が皆様と共に豊かに有りますように。互いに平和の挨拶を代わりましょう。
「主の平和が有りますように!」
今日はアドベント第二の主日です。二本のロウソクに火をともしました。
1本目のロウソクは「予言のキャンドル」と呼ばれます。キリストは聖書の預言の成就としてお生まれになったとされ、キリストの到来を意味して「希望」を表しています。
2本目のロウソクは「天使のキャンドル」と呼ばれます。天使は旧約聖書の詩編から「地には平和」をと賛美したとして「平和」を表しています。
3本目のロウソクは「羊飼いのキャンドル」と呼ばれます。キリストの降誕が最初に告げられたのは羊飼いたちで、彼らは飼い葉桶に寝かされている幼子イエスを見出して喜びに満たされたとして「喜び」を表しています。
4本目のロウソクは「ベツレヘムのキャンドル」と呼ばれます。神とその唯一の息子の愛の象徴として「愛」を表すとされています。
9節の御言葉を読みますと「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」旧約聖書の初めの神様の御言葉は「光あれ」という言葉です。
光と共に始まった天地創造の出来事によって与えられた「エデンの園」は楽園でした。何も欠ける事がない環境でした。たが初めの人間アダムと女の罪によってエデンの園から離れて苦しみが始まりました。
エデンの園から離れたとは結局神様から離れた事です。
神様から離れる事が苦しみの始まりです。暗闇の始まりです。
でも御子イエスによって与えられたクリスマスの恵みは、光を灯して新たな世界を与えて下さいました。クリスマスを通して与えられた光は真の光です。誰でも真の光に出会うと新たにされます。
旧約聖書の始まりは「光あれ」から始まりましたが、新約の始まりは真の光なるイエスの誕生から始まります。
旧約のアダムの罪によって神様の裁きが与えられたに対して、新約にイエスキリストがお生まれ成った素晴らしいクリスマスの出来事の恵みのよって、真の光が与えられて新たな救いの道が始まりました。
私たちは神の裁きの旧約時代から離れて、真の光なる救い主イエスキリストによって新たにされ、希望と平和と喜びと愛に満ちる思いがけない恵みの素晴らしい祝福の中にいます。
でも残念ながらこの世の出来事を見ますと、悔しい事や悲しみの時に暗闇の力が強くなり、希望を失ってしまう事が大きく成っています。
2024年日本の自殺者が一年に2万268人でした。生きる希望を失って苦しむ人々が多い時代に今私たちは居ます。
ある12歳の女の子は骨肉腫を患い1年半の闘病生活をして、死ぬ前に残した言葉は「本当に幸せな事は今生きている事」ですと言いました。生きたいと願っても生きることが出来ない多くの患者には、苦しみの中にも今生きている事が幸せだと思っているのでしょう。
ある方は事故によって首以下の部分が麻痺して動かない苦しみの中、死んでしまいたいと思うけれども、与えられた命が大切だと思って、生きる事が苦しくても生きなければならないと思っていましたが、大切な事が何かと知ることが出来た後には、生きているのが嬉しいと感じ笑顔で生きていた人が居られます。昨日から始まったアート展の星野富弘さんの言葉です。
一日一日生きるのが苦しい時に出会った真の光なるイエスの恵みによって生まれ変わったのです。
一日一日の苦しみの中から新しい喜びに導かれて生きていたと彼は告白しています。
そうです。イエスキリストは私たちの真の光です。何に取って代わることなく一番大切な事です。
ですから「キリストには代えられません」と讃美しています。
皆さんは真の光なる救い主の光を浴びていますか。
真の光なる主イエスに心を向けていますか。
真の光なる主イエスに耳を傾けて皆さんにかけて下さる御言葉を聞こうとしていますか。
待降節第二のロウソクのように平和を告げる天使の言葉を皆さんの心に疑うことなく聞こうとしていますか。私たちのために神様が御子イエスキリストをこの地に素晴らしいプレセントとして与えて下さった事を信じて感謝していきましょう。
第一のロウソクの希望の光を信じて生きて行く時に希望を持って歩みましょう。
何が有っても平和を守り、喜びと感謝に満たされるように主イエスを仰ぎ見てください。
毎日私はスマホを使っています。必ず電源が20%以下に成ったらアーラムが成ります。
必ず充電するようにします。バッテリーが無くなるとスマホを持っていても使わなくなります。
スマホは親切にバッテリーが無くなると知らせてくれますが、私たちの信仰は祈りと讃美と礼拝と奉仕から離れると、つまり真の光から離れ真のブドウの木から離れると何も実を結ぶことが出来なくなり困ります。
神から離れてエデンの園から追い出された人類は、御子イエスのお誕生の恵みによって新しい命に預かり、栄光に輝く命を味わうことが出来るのです。
これを14節にはこのように教えています。
読みます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
言葉が肉を持って人間として来られた主イエスがお生まれに成り、今も世の終わりまでも共に居られるインマヌエルの神として存在しておられます。恵みに満たされて生きる喜びを与えて下さった素晴らしい祝福が与えられています。ですから私たちは幸せです。
信じる幸せを讃美していた讃美が有ります。
華やかよりも、きよくいきること まずしいときも、感謝すること 小さな力分け与えて
これがわたしの幸せよ 涙溢れても祈られること 悔しい時も主のために耐えて
短い人生主に従ってゆく これが私の幸せよ これこそが幸せよ 世は知りえない贈り物
これこそが幸せよ 神の子どもとして生きる事 これが幸せよ