我らと共におられる主

マタイによる福音書1:21~23

クリスマスイブおめでとうございます。

クリスマスイブに神様からの素晴らしい祝福に満たされますようにと祈ります。

クリスマスは恵みの時です。新しい2026年を目の前にして新しい年への主の憐れみも共に願い求める時にもなります。

皆さんは幸せですか。今多くの人々は寂しさを感じて苦しんでいます。

周りには多くの人がいますが、多くの人のなあに(こころよ)()話せる人が居なくて孤独を感じて苦しんでいるのです。

クリスマスはイエスキリストのお誕生日です。イエスキリストは救い主です。

私たちの救い主としてお生まれに成った方がイエス様です。聖書にはあなたのためにイエス様がお生まれに成ったと教えています。信じられない事ですがそうです。

教会ではイエス様をイエス・キリストと言います。イエスキリストという言葉の意味は「イエスは私の救い主、メシアです」という意味です。イエスキリストとは私を苦しみから助けて下さり、私を守る方だという意味です。

昔の子供たちは自分の将来に希望を持っていました。

でも今の時代、子供たちに「あなたの希望は何ですか。何に成りたいですか」と質問すると答えられないのです。中学生、高校生にあなたの希望は何ですかと質問すると笑顔ではなく困った顔で苦しみます。自分がどれほど頑張っても希望は(かな)わないと思っているからです。

私はこの事を見た時に子供たちに学生たちに本当に必要な事は希望の光だと思いました。

今の時代は如何ですか。他の国の事を考えもせずアメリカファーストだ、日本ファーストだと叫んで、隣国との緊張が高ぶっている今の時代に、人々を助けるために自分の全ての栄光を捨てて、一番弱い幼子の姿でお生まれに成った出来事を告げ知らせた天使たちの讃美を思いましょう「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ。」との言葉に従って、今私たちは神に感謝の心を持って、感謝と共に神を讃える讃美を心から捧げましょう。そして自分一人のみを思っている自己中心的な思いを捨てて、私たちが出会う全ての人との平和を求めて生きましょう。

今日も目の見えない人々を助けるために働いている盲導犬協会のために献金しますが、ただお金をあげるという気持ちではなく、困っている人に自分の手を貸す心でしませんか。

クリスマスイブのこの時にマザー・テレサの祈りを紹介します。

「主よ、貧しい人や病んでいる人を助けるために、この手をお使いください。

友を欲しがる人々を訪ねるために、私の足をお貸しします。

美しい言葉に飢えている人々と語り合うために、私のこの声をお使いください。

どんな人にも愛するために、お望みでしたら、私の心をお貸しいたします。

主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。」

クリスマスイブの日には、自分の喜びを求めて楽しくする事だけを考えるのではなく、周りの人々と共に喜びと平和をもたらす事を少しでも望む時なのです。

でも私たちはロウソクのようなものです。ロウソクに火を(とも)して初めて光を照らす事が出来るのです。ロウソクだけでは、何の光もありません。

私たちを神様に委ねて神様から恵みの光、赦しの光、希望の光、喜びの光、命の光を頂く事で私たち自身が光を照らす事が出来ます。

でもロウソクは弱いので風が吹くと消えてしまします。神様から頂いた恵みの光の種を守るために大事にして守らないと直ぐ消えてしまします。

今日頂いた神様の光を守るために悪い風を防ぐ壁を持ち、自分の犠牲を喜んではらい、長くこの地域で神様に仕え、地域に仕える光として関わって欲しいと思います。

星野富弘アート展を教会で行いました。

一つ短い詩を紹介します。

「私は傷を持っている   でも  

その傷の所から

あなたのやさしさがしみてくる」

星野富弘さんは怪我によって首から下が動かないという障害を()いました。何時も体を動かすのが好きで走る事が好きでしたが、けがの後からは体が動かないまま心に大きな傷を持ちました。

希望なんて一つもない真っ暗な夜のような人生でした。

ようやく傷の隙間から恵みの主の光が入ってくるのを見ることが出来た時、新たな人生を持つことが出来たと言っているような詞だと私は解釈しました。

私たちは皆傷を持っています。他の人に見える傷も有り、他の人には気づかない傷も有ります。

他の人に見せたくない傷も有って、自分の力では背負う(せおう)ことが出来ないので皆に助けを願い、癒しを求める傷も有ります。

まったく癒される事無く、一生傷と共に生きていかなければならない傷も有ります。

聖書に、パウロと言う人が自分の傷を癒してくださいと祈った時に、コリントの信徒への手紙Ⅱ12:9~10にこの言葉が書かれています。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 10それゆえ、わたしは弱さ、()(じょく)(きゅう)(ぼう)(はく)(がい)、そして()()まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」と。

私たちが持っている傷の所から神様のやさしい光がしみて、神様の恵みに気づけるように、傷を見て絶望の(ふち)におちいることなく、クリスマスの光のイルミネーションのように神様が導いて下さる光を探すことに心を向けて生きましょう。インマヌエルの主として来られた御子イエスキリストは私たちと共に居られます。

今ロウソクに火を灯して自分の周りを照らしています。

この火は、私たちがもともと持っていた光ではないでしょう。教会に入る時に渡された時には火がついていないロウソクのままでしたが、一本のロウソクの火から教会全体に広がったのです。

これは、私たちと共に居られるために、天から一番小さな町ベツレヘムの馬小屋にお生まれに成った御子イエスキリストの恵みの光を意味します。希望の光を意味します。喜びの光を意味します。インマヌエルの主として来られた御子イエスキリストを意味します。ロウソクに火を頂いたように、私たちと共に居られるためにお生まれに成った御子イエスキリストの光を頂いたのです。クリスマスイブの日に、何時も共に居られる素晴らしい神で居られる救い主を皆様の心に受け入れることが出来れば、何よりも大きなプレゼントを神様から頂けることに成ります。

皆さんの心を救い主なる御子イエスキリストに向けて祈りましょう。