202258日西那須野教会礼拝説教文説教者:潘 炯旭牧師

説教題:「父と母を敬いなさい」   聖書:エフェソの信徒への手紙614

今日は母の日です。お隣に座っておられるお母さんたちに大きな拍手で「お疲れ様。ありがとうございます。」と心を込めて労いと感謝を伝えましょう。

昔は女性が差別されて長い間苦しみました。今でも女性の人権が無視されています。

聖書を見るとイエスキリストの女性たちとの交わりが多く書かれる程、女性を大事にしている事に気付きます。

現代の一番の問題は家族の関係が崩れる事です。

昔は家族の関係が深く緊密に繋がっていました。喜びも苦しみも共にして、貧しい環境にも共に喜びを分かち合って生きていました。神様もモーセを通して十戒を与えています。第1から第4は神様に関する戒めです。第5から第10は人間関係に関する戒めです。第1はほかに神が有ってはならないと命じられました。人間関係の初めの第5は父母を敬えと教えました。ここで神々の中で父なる神を第一にする事と人々の関係で父母を第一の事で敬う(認める)事で神と父母を同じにしているのです。

でも今は神を無視して自己中心的に成りました。家族中心からお金中心に変わりました。私はこれを罪と言いたいのです。本当に愚かな時代に成ってしましました。

私の恥かしい話ですが、私が子供の時、貧しい家でしたので他の友達が持っている物を手に入れる事が出来なくて、不満を母にぶつけてしまった事が有りました。本当に愚かな息子でした。母に私を生んだのなら養う責任も有るでしょうと冷たい反抗をした事も有りました。悪い息子でした。後に本当に悪口を言ってしまって申し訳ありませんと母に詫びしました。しかし母は他の事は良く覚えているにも拘わらず、そんなことは知らない、覚えていないと答えるのです。そんな母の姿を見て本当に色んな思いが胸いっぱいになりました。

母親を敬えとの聖書の言葉を知りながら、自分の欲が強くなって罪を犯してしまったのです。

ヨハネの手紙Ⅰ 420-21「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」と書かれています。

父母を敬わない人が目に見えない父なる神を敬わないのと同じです。

神様はモーセを通して十戒を与え教えられましたが、罪深い人間は自分の思うままに行動して神様の戒めに反して、神様も父親も無視してしまうという罪を犯したのです。

父母を敬うのは神の教えではなく命令です。命じられた事に従わなければ、それは罪です。

マタイによる福音書154「神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。」と教えました。

その背景は15120の御言葉です。神への供え物と父親に差し上げる者を同じくしなさいと教えています。

神様は初めのアダムと女を創造された創造の神として信じています。聖書は私たちの創造の神として信じ告白しています。父親の生物学的な出会いで私が生まれたと科学的に言いますが、クリスチャンとしては生物学的な事の上に神の力や霊によって神に似た者として創造された存在であると信じます。神は父母を通して私を創造したと信じます。私たちは神様が作って下さった神の被造物である事を認め告白しているのです。ですから父母の存在を、神様と離れた者と思うのは聖書の教えでは無いのです。

神の被造物の道具として神に仕わされた父母を敬うには、どうすれば良いでしょうか。

1. 父母を下さった神に感謝し、父母に感謝して生きる事です。

父母を無視する事は神を無視することになります。父母を拒む事は神を拒む事になるのだという神様の教えをきちんと守り従う事です。

父母に感謝の心を込めた挨拶をする事です。父母を敬う心を持って誠実に従いましょう。

 2.何か父母に罪を犯した事が有りましたら告白して謝罪をきちんとしましょう。

何か父母の心に傷を付けてしまった事が有るか、うんざりさせた事が有るか、何か有ったら悔い改めて父母を大事にして敬う事、父母の話に従う事、父母との関係を善くする事などを考えていきましょう。

3. 自分の父母を先に神の国に見送った方は周りの一人暮らしの方々と親しく互いに良い関係を結んで主の平和を共に求めて生きる事も一つの方法かも知れません。

信仰とは自分中心から神中心となり、神様の教えとは何かと、先に神の御心を思って生きる事が信仰への歩みでしょう。

神様の教えに従って、今私たちが従わなければならない主の戒めを大事にして生きる事で、幸福に成り、祝されて長く生きると神様は約束しています。

勿論神の祝福を願って父親を敬う事は欲望的な罪になります。聖書には第1の最初の掟であると宣言しているのです。

親として神様の教えとは何ですか。4節に書かれたように、しつけ諭すように育てる責任が有ります。

ある方は母を思いこの詩を書きました。

広き母の愛 尊き愛よ   母の愛はいつも私を包む

悲しむ時には祈りをささげ  喜ぶ時には賛美を歌う

朝夕読まれた 母の聖書は  み言葉に残る 印なつかし

信じる者みな 永久にいきると  教えし 御言葉 今も我が力。

ひとり疲れ果て さまよいしとき  母の賛美の声 耳に聞こえる

岩に泉湧き 荒れ野花咲く   主ともに歩めば 恐れは消える

皆さんは子供たちが母親を思い、母親の背中を見た時に、この詩のような思いを持って生きる事を望んでいますか。どのような印象を持って欲しいですか。

皆さんの信仰が子供たちの心にどう刻み付けられれば良いと願うのでしょうか。子供を産み世の人として生活出来るように世話をし、教育し、父母として精一杯尽くして来ましたが、子供と神様との良い関係が結ばれていきるように子供たちの内なる人間、即ち心の土台作りのための責任を持っている事に気付いていきましょう。これを何時もの祈りの課題として守っていきましょう。

子供たちが神を知り、神を恐れて、真の平和のために共に生きる者として育つ責任も父母には有るのです。

最後ですが韓国の讃美歌にある歌詞を読んで終わりたいと思います。

いつも見上げる母の愛よ/悲しむ時も慰めとなる。/今日も明日も与え尽くす/尊き愛は母の愛。

背く私をただ受け止め/ほほえみをもって 力をくれます。/家を離れてさまよう時/母の祈りの声がする。